プロフィール

プロフィール

こんにちは。当ページの管理人モウカクです。
プロフィールページをご覧いただき、ありがとうございます。
約20年ほどの会社員経験を経て「自分が後悔しない人生を生きよう」と決意し、独立という道を選んだアラフィフです (;’∀’)

首都圏から離れた地方在住です。
現在は妻と2人暮らし。自分でいうのもなんですが夫婦仲はかなり良好・・・なハズ。
これまでの人生を振り返ると、まぁ色々ありました。。。が、
40歳を超えたあたりから、「今まで経験したことは全部今の自分に繋がっている」と思えるようになりました。
現在は、会社員時代に長らく経験してきたメンター・コーチングの経験を活かし、生きづらさ・コンプレックス・苦手意識を抱えている方向けに、困難な中でも人生を前向きに生きていくためのヒント・乗り換え方などのサポートをしています。また、「何事においても経験値は人生を豊かにする」という信念・コンセプトをもっています。

とはいえ、「人のサポートしてるっていうけど、どういう人生歩んでるの?」という疑問もあると思います。
そこで、ここではモウカクが歩んできた半生について、書き綴ってみたいと思います。
もしご興味があれば、「管理人のモウカクってこんなヤツなんだ」と笑い飛ばしていただければうれしいです。
(めちゃくちゃ長くなってしまったので、その点だけ予めご了承ください m(__)m)

モウカクの家庭環境

小さい頃から甘やかされて育てられた自覚あり。子どものころに欲しいと思っていたものはだいたい買ってもらえていたような気がします…
(すごく手をかけてもらっていたなと、大人になってから気付くんですよね。。。)

一方で、自分の夢・やりたいことなどを言える環境で育った・・・とは言いづらいです。物心ついた時から、家族から「モウカクにはこれは向かない」、「モウカクはこれが得意だからこういう道に進みなさい」、「あれはしてよい」、「これはしてはダメ!」とかなり言われていた記憶があります…
気づけば、自分の夢・やりたい事を心の奥に押し込めるようになり、家族の顔色を伺いながら生きる様になりました。(あ、でもここまで書いておいてなんですが、家族には本当に感謝してます!!) 

幼少期~小学校時代

幼少期はとても活発な子供!…だったわけでもなく、思えばこの頃から少し変わっていたかもしれません。
周りの同年代の輪にあまりなじめず、仲良くしてたのは2~3人。
幼稚園には行っても「早く帰って家で過ごしたい」と思ってた記憶が蘇るくらいで楽しかった記憶は…ありません(苦笑) 

そんなヒねたポテンシャルを幼稚園の頃から発揮していたモウカク、小学校に入ると更にそのポテンシャルに拍車がかかります(-_-;)
小学校に入ってすぐ、わずかながら仲良くしてた(してもらってた?)子が次々と転校、遥か遠くの地へ…小学校入学からわずか半年くらいで孤独と向き合うことになります・・・
もともと通学路が他の同級生たちとは逆方向だったこともあり、その後は特に誰と仲良くなるわけでもなく、学校が終わればすぐ帰って家で過ごすのが好きな子供になっていきました。
小学校生活は好きでも嫌いでもなかったですが、楽しかった記憶は幼稚園同様、ありません(苦笑)
ただ、学校の勉強はわりと真面目にやってた方だとは思います。 

そんな小学校生活で何年生の頃かは忘れましたが、当時のクラス担任が不祥事を起こして1年くらいの謹慎処分となったことがありました。当時なぜかクラス委員長を務めていたモウカクは校長室に呼び出されます。
そこで校長先生が衝撃の一言。

校長先生
校長先生

代理の担任が赴任する。新しい担任はもちろんだがクラスの子達も色々不安だと思う。
君がサポートしなさい。

今考えると、中々ヘビーな事をさらっと言ってくれてますが。古き良き時代の話ですね(苦笑)
新しい担任もクラスの子も不安?そりゃそうでしょ。。。オレは??? サポートって先生しないの?
当時はそんな考えなど全く浮かばず、校長に言われるがまま、代理の担任とクラス内のサポート(らしきこと)に四苦八苦していましたね(-_-;)
…思えば、この頃から人のサポートを行っていたのだと思います。 

中学校~高校時代

中学校では新しい友達が数人でき、高校は地元から離れた学校に進学して、全く新しい交友関係を築きました。
が、基本的には小学校時代と変わらず、どちらかというと1人の時間を好んでいました。

中学校、高校と割と平和な学校生活だったとは思うのですが、強いてエピソードをあげれば・・・
中学生時代(確か2年)、当時所属していた部活で大会に向けて練習を積んでいた時のことです。
大会まで1週間を切った頃、部活の顧問が家庭事情かなにかで急遽休職、部長も体調不良を引き起こしてしまい大会に間に合わないかも、ということがありました。

そんな中、顧問と部長から部のとりまとめを依頼されてしまったモウカク。理由を聞くと、

部 長
部 長

なんとなく。ただ、一番周りの話をちゃんと聞けそうだから。

おいおい…
頼られているのかなんなのか、よく分からないフワッとした答えでしたが、頼まれて悪い気はしなかった能天気なモウカクは、部のとりまとめを安直に引き受けてしまいます。(その後苦労するのに・・・)

結果、大会までに部長は間に合わず。モウカクは顧問も部長も不在となった部の部長代理として大会に臨むことになったのです。。。(結果は聞かないでくださいね。。。)
振り返ると、この時も「サポートをする」星回りがめぐってきていたようです(苦笑)。

休日の過ごし方

休日もとにかく家で過ごしていたい子供でした。
休日に友達と遊ぶこともあまりなかったです。モウカクが家で過ごすのが好きなこともあったのですが、家族が他人を家に上げるのを極端に嫌う性格でして・・・
「友達が遊びにくる」など言おうものなら、一気に張り詰めた空気に様変わり(苦笑)。
遊びにくる当日は朝から家族はまぁピリピリムード。それこそ「お菓子、飲み物お願い」とかなんぞ言ったらブチ切れそうな雰囲気満々。。。

では、友達の家に行った時はどうだったのか?
これもあまりいい顔はされなかったです。。。
「誰と?」「どこに?」「何をする?」「〇時までには絶対に帰ってきなさい!!!」これが当たり前でした。
特に門限には厳しく、一度30分くらい遅れて帰った事がありましたが、玄関前でスゴい顔して仁王立ち(のように当時のモウカクには見えた)。玄関でこってりしぼられ、数時間玄関の外で立たされていました。。。
いくら泣いて謝っても入れてもらえず(今だと色々問題ありそう…時代ですねぇ。。)
それ以降、門限はとにかく守るようになりました。

友達が来て帰ったあと、友達の家に行って帰ってきた後はとにかくどっと疲れていたのを覚えています。
なんで友達と遊ぶのに気疲れしなきゃならんのか・・・ 
そんなこともあってか、友達と遊ぶこと自体が負担になっていきました。。。
このようにしてお家大好き人間が出来上がってしまったワケです(苦笑) 

大学生時代

大学生になり、実家を出て初めての1人暮らしを開始!
実家では自分の部屋がなく、常に家族と居間で生活していたモウカクにとっては全てが新鮮でした。
部屋で好きなことをしていても誰からも何も言われないのです。嗚呼、自由ってスバラシイ・・・
…そんな、小学校高学年から中学生くらいの年齢で経験しているような感情にテンション爆上がりでした!

学校生活は楽しかったですが、在籍していた学部がやや特殊でして・・・男子学生数が非常に少ない!
他の男子学生は段々と学校にこなくなっていた中、何とか通い続けていたモウカク。
ただ、所属したゼミではゼミ生全員での共同作業が必須であったため、来なくなった男子学生のフォロー、サポートの役割がまわってきました。
やはりここでも「サポート」はついてまわってきていたのです(苦笑)

家族の介護、冠婚葬祭デビュー

そんなモウカクですが、実はこうみえて(どう見えて?)ヤングケアラー経験者です。
というか、今現在も絶賛継続中です。。。若者ケアラーを経てミドルケアラー?(そんな単語ない)

モウカクが中学に入るか入らないかの頃、親が病を患いました。心の病です。
今振り返って考えると、家族は病を患った親を心配はしましたが、本気で向き合ってはいませんでした。
心の病を患ったことを認めたくなかったのかもしれません。
徐々に様子がおかしくなる親に対して、「現実から逃げてる」と次第に責め立てるようになりました。。。

結果、親の心は壊れてしまいました。
毎日のように「死にたい」と叫ぶ親。いつの間にか、家での親の一挙手一投足にすこぶる敏感になるモウカク。
自ら人生を絶とうとする親。その行動を察知して引き留める役割はだいたい私だったのです・・・
そんな光景が繰り返されるうち、いつの間にか親の様子伺いは私の役目になっていきました。
家族は、そんな私と親の関係をどこか外側から見ているような感じでした。自分達の手元にあった問題を手放し、他に任せることが出来た。そんな感覚だったのかもしれません。

…ここまで書いておいてなんですが、家族を責める気持ちは全くありません。対応の仕方、向き合い方を知らなかったのだと思います。

そして、親の介護に携わり始めたモウカクにもう1つ付いてきたのは、家の冠婚葬祭絡みでした。
そもそも、家族全員が人付き合いが上手ではありません。親戚などの冠婚葬祭の連絡があった時などはすぐさま家の中がピリついたものです(苦笑)。
病を患う前までは親が対応していた冠婚葬祭。その役割がもれなく廻ってきたのです。家族の理屈はこうでした。

モウカク家族
モウカク家族

大きくなったらどうせモウカクがやることになるんだから。

今振り返ると、上手いこと押し付けられたな感もありますが・・・結果、中学生の頃から家の冠婚葬祭絡みに出席していたモウカク。場慣れという意味では良い経験が出来たのではと思っています。 

ここまで、学生時代までのモウカクを振り返ってみました。
改めて文字で起こしてみると、思ってたよりもヘビーな半生歩んでるのかも・・・(苦笑)
引き続き、社会人以降のモウカクの半生について書き綴ってみたいと思います。

就職活動

わりかし平和な大学生活を送ってはいたものの、物心ついた頃から家族の顔色を伺い、家族の望む道を歩んできたモウカク。
特に就きたい職業もなかったのですが、家族が地元での就職を望んでいたことは常日頃から感じていました。
結果、家の事情(介護)も鑑み、地元の企業に絞って就職活動。無事そのうちの1社から内定をいただきました。

あとは卒業まで大学生活を謳歌! そう思っていました・・・
・・・ところが。
季節は冬のある日。12月に入っていたでしょうか。
いつものように朝、新聞をチェックしていたモウカク。衝撃の記事を目にすることになります。

「●●社(モウカクが内定をもらっていた企業)、業績不振により倒産」 

…はい?
目を疑いました。自分が入るはずの会社が倒産?
事態が飲みこめなかったモウカク。携帯電話の着信を確認しますが、企業からの着信は入っていません。。。
始業時間後、急ぎ企業に電話をかけましたが、着信音が鳴るだけで応答は一切なく・・・ 

これはヤバイ。一気に血の気が引いていくのが分かりました。
春からの就職に向けて呑気に過ごしていたモウカク。一転して就職浪人の危機を迎えます。。。
しかも季節は冬。もうすぐ年末です。新卒募集はとうに締め切られているタイミング。上でも書きましたが、「やりたいこと」、「なりたいもの」が無かったモウカク。
昨今は当たり前のように就職年次の学生がやっている業界研究の類もあまり熱心に行っていなかったため、どの企業に応募すべきかもピンときていませんでした。。。
そんな甘々だったモウカク、その後二転三転、本当に色々ありましたが、どうにかこうにか1つの企業からご縁をいただくことが出来ました。季節はもう年の瀬がすぐそこ、という頃でした。
そんなすったもんだの末、社会人生活へと踏み出していくことになります。

社会人生活

ドタバタの末に始まった社会人生活。以降これまでに多くの仕事を経験してきました。
最初にご縁を頂いた企業では営業部署に配属。
コミュニケーションや電話対応に苦手意識のあったモウカクにとっては、出来れば避けたい部署でした・・・が、何とか頂けたご縁、贅沢は言ってられません(・。・;)
ところが、そんなモウカクの腹の内を探り当てるかの如く、新規顧客約1,500件の電話営業の担当に…かなりヘビーな業務でしたが、大きな経験を得ることができました。

その後、上記の電話営業の経験を買われてか、コールセンター部署へ。顧客対応の他、電話応対の経験値が少ない同僚のメンター役として従事しました。
(ここでの経験を買われたかは分かりませんが、その後のキャリアでも、同僚や後輩へのメンター役を積み重ねていくことになります。) 

数年後、イベント運営企業にて主にイベントやセミナーの運営・進行などに携わり、イベント開催の度に全国各都市に飛び回っていました。思い返せば、この仕事はやりがいがあったし楽しんでいました。
その後、人事異動で別部署へ異動となりましたが、ここで大きな転機が・・・異動先の仕事は自分にとって面白くなく、やりがいを感じられませんでした。(異動当時はそんな感覚になろうとは露ほども考えていませんでした…)

特に、時間が過ぎるのがとにかく長かった事を覚えています。
1時間経ったかな、と思って時計みたらまだ10分も経っていない…こんな感覚を1日に何度も繰り返していました。これは苦痛でしたね。。。そんな日々を過ごしているうちに、自分自身にある問いが芽生えたのです。

モウカク
モウカク

自分はこの仕事で働き続ける人生で良いのだろうか?

とは言え、新卒入社後あまり深く考えずに働いていたモウカクにとっては、自分のキャリアなど真剣に考えたこともなく、「定年までこんな感じでキャリア積んでいくんだろう。」とお気楽に考えていました。(改めて書いていても、とんだお気楽だなぁと・・・) 

そんな、自分のキャリアについて満足に考えたこともなかった当時のモウカクですが、初めて自分のキャリア、人生にほんの少し向き合うことになります。そんな時に出会ったブログ記事があります。
ちきりんさんのブログ「chikilin日記」の、「退職決断のための「黄金基準」はこれだ!」という記事です。
この記事の中に出てくるマトリックスを見て、ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。なんと、自分が置かれているコミュニティは「今すぐ抜けた方が良い」判定だったのです!!

これで自分の心は決まりました。
「先のことは分からないけど、この仕事を続けるのは間違いなく自分が後悔する」 そんな予感がありました。
そしてその日の夜、家に帰ったモウカクは家族に会社を辞めたい旨を伝えました。
反対はされませんでした。むしろ後押ししてくれたのです。(感謝!!)
先のこと決まってないのに。ヘタしたら路頭に迷うかもしれないのに。。。感謝しかありませんでした。

その時に妻に言われたこと、とても印象に残っています。

モウカク妻
モウカク妻

部署異動してからのモウカクは毎日とてもつまらなそうだし、メンタルが不安定になってるのが
見てて分かる。つまらない毎日過ごすくらいなら、この先たとえ遠回りしても、毎日楽しいって言える人生過ごそうよ。

…すごい言葉だと思います。
自分が逆の立場だったら。そんな事言えるんだろうか? いや、言える自信ありません(苦笑)
「生活どうすんの?」とか、いの一番に聞いてしまいそう。。。
ともかく家族の後押しを得られた私は、何の根拠もなく新たなキャリアに向けて歩き始めたのです。
・・・長い長いトンネルが待っているとも知らずに。

家族

妻は私より年下ですが、非常に良い理解者となってくれており本当に感謝しています。
出会って20年近く、考えの違いなどによる口論はありますが、大きな喧嘩はしたことがありません。
こう言うと、「たまたま相性が良かったんでしょ」とかで片付けられそうですが、、、
改めて振り返ってみると、
お互いに「相手の考えにまずは共感し、その上で自分がどう考えるか」を大事にして向き合って来たのかなと思います。その積み重ねが、良好な関係の礎になっているのではないかと考えています。
これからも、お互い大事にする部分は変わらずに向き合っていくのだと思います。 

その後の介護生活

上の項で親の介護に携わっていることに触れました。その後について綴りたいと思います。

モウカクが高校入学後、親は自分の病気を自覚して病院へ行きました。
「重い精神疾患。継続通院のうえ一定程度の期間にわたる加療を要する」との診断を受けます。
覚悟はしていましたが、これは少なからず家族全員にとってはショックでした。
休職しながらも続けていた会社を辞めた親は、ますます家でふさぎ込む日々になっていきました。
そんな親の様子に、「いつ突飛な行動に出るのでは」と、日々心休まらない日々を過ごしていました。

大学進学の際、状況的に1人暮らしは反対されると思っていましたが、学校にはちゃんと通って欲しかった
のでしょう、親は大学の近くに住むよう促してくれました。
そこから親の症状は一進一退を繰り返しており、モウカクも出来る範囲で親の様子を見に家に帰っていました。

社会人になり数年後。
一進一退を繰り返していた親の症状は徐々に悪化、通院していた担当医からついに宣告が。

担当医
担当医

意思疎通が困難で、自力での日常生活は限りなく不可能。入院加療を要します。

当時、この言葉をすぐに受け入れることは出来ませんでした。
今でこそ自然に受け入れられるようになりましたが、当時はまだ「精神病棟への入院」という事象にかなりの偏見をもっていました。施錠された部屋で喚き叫ぶ閉鎖病棟、そんなイメージでした。
そこに自分の親が属してしまうことが受け入れられなかったのです。。。

…そこから早10数年、20年近く?
親は退院することなく入院を続けています。一時退院は何度かありましたが。
当時すごく偏見を持っていた閉鎖病棟。定期的に様子見に行く今ではすっかり見慣れた光景となりました。。。
施錠された部屋から喚き叫ぶ閉鎖病棟。当初持っていたイメージより現実はもっと酷かった・・・
心療専門病院のため、別の肉体疾患が生じる度に他の病院への同行、付き添いは数え切れず・・・

でも。今でも通い続けているモウカクが率直に思うこと。
そこで療養している患者さんには生きるエネルギーが宿っている、ということ。
例えばこちらが患者さんに挨拶した時。「あーうー」と叫ぶ人、会釈だけの人、ジロッと視線を向けてくる人、ニコニコして後ろにくっついてくる人。その人なりに懸命にアクションしている、退院して日常生活を過ごすことを目指し、日々を前向きに懸命に生きているのだ、と。
そのような姿を定期的に目の当たりにし、「自分も日々懸命に生きよう」と強く感じます。

ちなみに、直近で担当医から親に下された診断は以下の通り。
「コミュニケーション能力の低下がみられ、意思疎通極めて困難。自力生活能力・就労能力は皆無。」
…言葉にすると中々ヘビーだな、と思います(苦笑)
ですが、モウカクは決して諦めません!諦めたらそこで試合終了です!(スラムダンク 安西先生(笑))
親が病気を患ったことで自分の人生に影響が出たことは確かです。振り回されたという側面もあるでしょう。
ただ、少しでも快方に向かう日がくることを信じて、これからも明るく介護と向き合っていこうと思います!

転職活動での挫折、自己対話、独立という選択

キャリアに話を戻しましょう。
とにかく職場で神経をすり減らし続けていたモウカク。家族の後押しを受けた私は数日後、辞表を提出します。
・・・特に引き留められはしませんでした。うすうす感じ取っていたのでしょう。
そんなこんなで、アテのないキャリア探しが始まるのです。。。

会社を辞めることは決まったものの、次の道は決まっていません。
40代の転職活動はなかなかハードルが高い。この事は十分に認識していました。ただ一方で、この時はまだ

モウカク
モウカク

今までのキャリアを生かして、どこか入れるだろう

と高を括っていました。しかし、考えが甘すぎました。。。
転職エージェント、ハローワーク、求人情報誌、自主応募、色々なルートで数多の企業に応募してみたものの、書類審査で落ちること落ちること・・・
この時は、書類審査で落ちることに耐性がなく、1回1回の結果を見ては心がへし折られていました。メンタルを壊しかけて会社を辞めた筈なのに、転職活動でまたメンタルを壊す、そんな悪循環に陥っていました。

そんな中でも数社は面接選考まで進ませてもらい、最終選考も何社か受けさせてもらいました。
・・・しかし結果は不採用。
何がいけなかったか、と振り返りをしている時、ある感情に気づいたのです。

不採用という結果にどこかホッとしている自分がいたのです。
次のキャリアを目指して転職活動している自分。一方、採用されないことでホッとしている自分。自分の行動と本音がどこか一致していない、どこかモヤモヤした感覚がありました。

そんなモヤモヤを抱えたまま、しばらくは転職活動をしていたのですが、、、ある時、運良く最終選考までご縁をいただいた会社が3社続いたことがありました。
3社とも感触が良く、うち2社からは内々定をいただいていました、、、が。
内々定を頂いていた2社から、内々定取り消しの連絡を受けてしまいます。(もう1社はお見送り…でした)
理由は2社とも、会社方針の変更による募集自体の取り消しでした。
この時、何の根拠もないのですが「他の会社に転職するという道は違うのではないか」との思いがよぎりました。(何か見えない力にでも止められているような感じがしました)
不採用という結果にホッとしていたことも踏まえ、すぐに確信に変わりました。

モウカク
モウカク

「じゃあ、自分は何が望みなんだろう?」
「どういう生き方だと満足するのか?」

この問いへの答えを出すべく、転職活動を一旦中座し、自己対話に時間を費やすこととなります。
「自分の本当にやりたいことは何だろう?」と考えた時、すぐには答えが出てきませんでした。そこで、取り組んだのがセルフコーチングでした。
コーチング自体はメンター役として従事していた際に何回か取り入れたことがありましたが、この機会にプロのコーチの元で改めてコーチングを学び直しました。

…その結果、色々な気づきを得ることができました。

「組織に縛られず、自分の力で新しいことにチャレンジしてみたい」
「メンターとして向き合い、クライアントの力を引き出せた時がとてもやりがいを感じた」


などなど。。。

この時、転職活動をしていた際のモヤモヤの正体も判明しました。
「自分は組織に属して働く形を望んでいない、自分の力で何かにトライしてみたいんだ」と。
これまで独立などということは一切頭になかったので、自分でも驚きました。大きな不安も襲ってきました。
そこで。改めてセルフコーチングによる自己対話をしました。

モウカク
モウカク

「新たな組織で働くのか?」
「自分で新たなチャレンジをするか?」
「自分は本当は何を望んでいるのか?」

出てきた答えは・・・「人生のエンディングを迎える時、後悔するのはチャレンジしない人生の方だ」でした。
こうして自分の当時の本音に気づいたモウカク。不安、恐れだらけの中で独立という道を選択します。

その後は色々ありながらも、会社員時代の長年にわたるメンター従事の経験を生かしたメンター、コーチング、イベント運営コンサルなどの活動、情報発信を行っています。また、近年カウンセラーの資格も取得し、さらに活動の幅を広げていきたいと考えています。

結び

以上、とてもとても長くなってしまいましたが、モウカクの半生を大まかに書き綴らせてもらいました。
改めて思うのは「生きづらさも沢山沢山感じてきたけど、全ての経験は無駄ではなく今に繋がっている」ということ。
皆さん、日々の生活を送る中で生きづらさを感じること、壁にぶつかること、多々あると思います。
目を背けたくなることもあるでしょう。モウカクもこれまでイヤというほど味わってきました。

ですが、全ての経験はいつか自分の血肉となります。
明日、1週間後、半年後、1年後、10年後…時間差はあるにせよ、経験が生きるタイミングは必ず訪れます。
モウカクは「何事も経験値は人生を豊かにする」という信念・コンセプトのもとに、生きづらさや壁を感じている皆さんへ、自身が培ってきたメンター・コーチング等の知識や経験を掛け合わせた視点で、困難な中でも前を向けるような気づきとなる情報発信を行っていければと考えています。

もし「なんかこの人の言ってること、聞いてみたいかも」と感じてくださった皆さん!
引き続きお付き合いくださると大変嬉しく思います。

それでは以上で当ページ管理人モウカクのプロフィールを終わりたいと思います。
ここまで長々お付き合いくださり、ありがとうございました!

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