こんにちは。モウカクです。
このブログでは、多種多様なジャンルの音楽を日々聴き漁っている管理人のモウカクが、気になるアーティストや音楽を独自目線でピックアップしてご紹介していきます。
ご紹介するアーティストのプロフィールや経歴、主な活動や作品等についてはもちろん、管理人の推しポイントにつ
いても書いていきたいと思います!
今回ご紹介するのは、歌謡・演歌界の実力派の1人、走裕介さん!
よろしければ最後までお付き合いください。それではいきましょう‼
・走裕介さんのプロフィールや経歴
・走裕介さんの結婚歴、年齢・出身高校に関するリサーチ結果
・走裕介さんの楽曲紹介&管理人独自の推しポイント!
走裕介さんのプロフィール・経歴を紹介!
改めて、今回ご紹介するのは歌謡・演歌界の実力派の1人、走裕介さん!
作曲家・船村徹さんの最後の内弟子として2016年にメジャーデビューを果たし、王道の演歌歌謡曲を力強く雰囲気たっぷりに歌い上げることで注目され、人気を集めていますよね。
改めてどんな方なのか、まずは生年月日や出身地、身長、特技などのプロフィールについてまとめてみましたのでご紹介していきましょう‼
走裕介さんのプロフィール・経歴
名前 | 走 裕介(はしり ゆうすけ)さん |
本名 | 眞野 裕之(まの ひろゆき)さん |
生年月日 | 1973年12月7日(51歳) ※記事執筆の2025年7月29日現在 |
出身地 | 北海道網走市 |
身長 | 不明 |
血液型 | A型 |
趣味 | ギター・料理・YouTube配信 |
特技 | ドラム演奏・運転全般 |
走裕介さんと音楽との出会いは、歌ではなくドラムだったようです。走さんは小学生の頃からドラムを習い始めたのだそうで、中学生時代からバンドを組んでロックバンドのカバーをされており、歌は高校2年生頃まで全然歌っていなかったのだとか。

走裕介さんが当時組んでいたバンドでは、安全地帯・バービーボーイズ・ZIGGYなどをカバーされていたのだそうです!管理人もほぼ同世代なのですごく共感します!当時は同級生にも沢山コピーバンド組んでいる人がいましたね、、、
そんな走裕介さんと歌との出会いは高校2年生の学園祭が近づいてきた頃。走さんが組んでいたバンドでボーカルを担当していた同級生が、ステージでの練習をする時間と掃除当番が重なってしまい来れなかったのだそう。時間が限られていたことから他のバンドメンバーと先に練習を始めた走さん。コーラスマイクで歌っていた走さんの歌声を聞いた体育の先生が「歌を歌ってもいいんじゃないか」と言ってくれたのだそうです。この体育の先生の言葉がきっかけで少しずつ歌う機会を増やしていった走裕介さんは、自分がボーカルを務める別バンドを組み、歌う方へ注力していったようです。
走裕介さんは高校卒業後、トラック運転手やホタテ漁の漁師などの職業を経験されます。また走さんの実家が畑作農業を営んでいらっしゃるそうで農業に従事していた時期もあったそうです。走さんはトラック運転手時代にラジオから流れる演歌・歌謡曲を聴くうちに「演歌のコブシもいいものだ」と感じるようになり、一緒になって口ずさんでいたのだそうです。
走裕介さんは1997年、NHK-BS2で放送された「日本縦断カラオケ道場」に出場して見事優勝を果たされます。その後、地元である北海道のカラオケ大会に参加した際に作曲家の船村徹さんにデモテープを送るように勧められたそうで、実際にデモテープを送ったところ、船村徹さんからスカウトを受けたのだそうです。

走裕介さんはデモテープには船村徹さんの楽曲ではない曲を録音して送られたそうですが、弟子にしてもらえて有難かったと当時を振り返っていらっしゃいます。
1999年7月、船村徹さんの元へ弟子入りすることとなった走裕介さん。以降、船村徹さんの仕事場であった日光市の「楽想館」で内弟子生活を送ることになる走さん。その期間は約10年にも及んだのだそうです。
走裕介さんは約10年に及んだ内弟子生活について以下のように語っていらっしゃいます。

「歌は芸事だから人がやっていることを自分で見て学んで芸を盗みなさい」というのが先生の教え。内弟子生活の10年は全て自分自身の財産。
走裕介さんはメジャーデビューの話を車の運転をしていた最中に師匠の作曲家・船村徹さん聞かされたそうで、大変驚いたそうです。その後実際にメジャーデビューまでには約2年の歳月を要したようです。
走裕介さんは約10年の内弟子生活を経て、2009年4月に日本コロンビアよりメジャーデビューを果たされます。
2024年にはメジャーデビュー15周年を迎え、ますますの活躍が期待される走裕介さん。今後の夢・目標として「応援してくれるファンの方・関係者の方に常に感謝の気持ちを持ちつつ、20周年に向けて頑張っていきたい」との思いを語っていらっしゃいます。また、紅白歌合戦への出場も目標として持っていらっしゃるようです。
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走裕介さんは結婚している?
とても端正で整った顔立ちをしており、男らしさを感じさせる佇まいも印象的な走裕介さん。
検索関連ワードでも「結婚」「結婚相手」というワードが多く出てきます。
交際されている女性やご結婚はされているのでしょうか。
管理人がリサーチしたところ、走さんの交際・結婚に関する正確な情報としては出てきませんでした。走裕介さんは51歳(記事執筆時点)ということですので、ご家庭を持たれていても不思議ではありません。一方でお仕事も順調のようですし、プライベートより仕事の方が楽しい状態という可能性も考えられますね。
いずれにせよ、走裕介さんは非常に端正で整ったルックスをされており、好きな方も非常に多いのではないかと思います!交際されている方やご家庭を持たれていても全く不思議ではありませんね。
走裕介さんは芸名?出身高校は?
走裕介さんの本名・出身高校についてリサーチしてみました。
上記プロフィールの欄でもご紹介しましたが、走裕介さんの本名は「眞野 裕之(まの ひろゆき)」さんです。
本名の方も芸名っぽい雰囲気がありますね。芸名の由来は走さんの出身地である北海道網走市から一字とっての芸名なのだそうです。

地元の期待を背負っている芸名であることが伺えますね!
また、出身高校についてもリサーチしてみました。
走さんの出身高校は北海道の美幌農業高等学校(現:美幌高等学校)を卒業していることが分かっています。走さんの実家が畑作農家をされていることも進学先に影響あったのかもしれませんね。

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走裕介さんの楽曲を紹介!
走裕介さんの楽曲リリース歴を以下でご紹介していきましょう。
リリース日 | 形態etc | タイトル |
2009年4月1日 | 1stシングル | 『流氷の駅』 |
2010年1月20日 | 2ndシングル | 『呼人駅』 |
2011年1月12日 | 3rdシングル | 『おんなの雪』 |
2011年10月19日 | 4thシングル | 『篠突く雨』 |
2011年10月19日 | 1stアルバム | 『故郷恋々』 |
2012年8月1日 | 5thシングル | 『北国フェリー』 |
2013年2月20日 | 6thシングル | 『北国街道・日本海』 |
2013年7月24日 | ベストアルバム | 『シングル・コレクション』 |
2014年1月15日 | 7thシングル | 『夢航路』 |
2014年1月15日 | 8thシングル | 『昭和縄のれん』 |
2014年11月19日 | ベストアルバム | 『全曲集 夢航路』 |
2014年11月18日 | ベストアルバム | 『全曲集 昭和縄のれん・風来ながれ唄』 |
2016年3月23日 | 9thシングル | 『北の傷歌』 |
2016年8月11日 | 10thシングル | 『山が、笑ってら』 |
2016年10月19日 | ベストアルバム | 『全曲集 北の傷歌』 |
2016年11月23日 | 11thシングル | 『星屑の恋』 |
2017年6月21日 | ベストアルバム | 『スペシャルベスト』 |
2017年7月5日 | 12thシングル | 『男の駅』 |
2017年11月22日 | ベストアルバム | 『全曲集 男の駅』 |
2018年2月7日 | 13thシングル | 『北のひとり星』 |
2018年10月31日 | 14thシングル | 『春待ち草』 |
2018年11月21日 | ベストアルバム | 『全曲集 北のひとり星』 |
2019年6月19日 | ベストアルバム | 『令和ツイン・パック』 |
2019年7月24日 | 15thシングル | 『知床挽歌』 |
2019年11月20日 | ベストアルバム | 『全曲集 春待ち草』 |
2020年2月12日 | 16thシングル | 『流氷列車』 |
2020年11月18日 | ベストアルバム | 『全曲集 知床挽歌』 |
2021年2月10日 | 17thシングル | 『一期一会』 |
2021年11月17日 | ベストアルバム | 『全曲集 一期一会』 |
2022年1月16日 | 18thシングル | 『恋懺悔』 |
2022年10月19日 | ベストアルバム | 『全曲集 恋懺悔』 |
2023年3月22日 | 19thシングル | 『篝火のひと』 |
2023年9月27日 | 20thシングル | 『釧網本線』 |
2023年11月22日 | ベストアルバム | 『全曲集 篝火のひと』 |
2024年4月17日 | 21thシングル | 『雫』 |
2024年9月25日 | 22thシングル | 『男が母を想う時』 |
2024年10月30日 | ベストアルバム | 『オリジナル&カバー・セレクション』 |
2009年のメジャーデビュー以降、精力的に楽曲をリリースされている走裕介さん。
走裕介さんの代表曲としては、2009年のデビュー曲である『流氷の駅』や、2012年リリースで同年の「第54回 日本レコード大賞」で日本作曲家協会奨励賞を受賞した『北国フェリー』、最新リリース楽曲の22thシングル『男が母を想う時』などが挙げられますね。

≪シングル『北国フェリー』ミュージックビデオ≫

≪シングル『男が母を想う時』ミュージックビデオ≫

管理人による走裕介さんの推しポイント!
ここからは管理人の推しポイントとして2点、「温かく、安心感を感じる歌唱表現力」と「歌手の世界に対する揺るぎない思い・信念」についてご紹介していきます。
温かく、安心感を感じる歌唱表現力
管理人の推しポイント1点目は、ズバリ「温かく、安心感を感じる歌唱表現力」です!
管理人が走裕介さんの歌を初めて聴いた時、「歌声に力強さがありつつも、どこか温かみと安心感を感じさせる歌唱表現をされるなぁ」と感じていました。管理人個人的には、走さんの歌声から故郷や実家の家族を思い起こさせるような温かみ・安心感を感じるんですよね。一息ついて「また頑張ろう」と思わせてくれるような包容力を感じる歌唱表現がとても印象的です。
今後の楽曲をどのように表現されるのか、とても魅力的な歌唱表現力を持っています。
歌手の世界に対する揺るぎない思い・信念
上述の経歴の欄でもご紹介しましたが、走裕介さんは歌手を目指して師匠である作曲家の船村徹さんに弟子入りの後、約10年という長きにわたり内弟子生活を続けられています。
社会人としてトラック運転手やホタテ漁の漁師などを経験された後に、作曲家・船村徹さんの門下生となった走裕介さん。キャリアの方向性をガラッと大きく変えるのは誰でも難しいことですよね。管理人個人の昔の話で恐縮ですが、社会人3~4年目の頃にそれまでのキャリアを変えるかどうか自分なりに悩んだ経験があります。(結果、キャリアを変えることなく20年ほど過ごすことになったのですが・・・)
自身のキャリアをガラッと変えるチャレンジが出来た走裕介さんは、歌手の世界でチャレンジ、生きて行くんだという気概・覚悟があったのだと思います。10年の期間にわたる内弟子生活も、「自分が生きて行く世界はこの道だ」という信念があってこそ過ごせたのではないかと感じます。自分自身の可能性を信じ続けることの出来るマインドの強さをお持ちなのだと感じます!
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まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は歌謡・演歌界の実力派の1人、走裕介さんについて取り上げてきました。
改めて、走裕介さんの魅力について管理人目線でまとめてみると・・・
●温かく、安心感を感じる歌唱表現力
●歌手の世界に対する揺るぎない思い・信念
上記の点が挙げられるのかな、と思います。
ご紹介してきたように「歌手になるんだ」との強い信念の元に10年という長い内弟子期間を経て、王道の演歌歌謡曲を歌い上げている走裕介さん。実際に歌を聴いてみると分かりますが、力強さの中に温かく包み込むような優しさを感じさせる歌声をされており、故郷・実家の家族を思い起こさせる安心感が得られるような歌唱表現力がとても印象的です。目標とされている「応援してくれるファンの方・関係者の方に常に感謝の気持ちを持ちつつ、20周年に向けて頑張っていきたい。また紅白歌合戦への出場を目指したい」という夢に向かって歩み続けている走裕介さんの今後の活躍にぜひ期待したいと思います。
ここまで記事を読んでくださった皆さんで、走裕介さんに少しでも関心を持ってくださる方がいらっしゃったら嬉しく思います。
それでは今回はこの辺で。長々お付き合いくださり有難うございました。
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