広告あり

学校で学んだ知識・一般教養のアップデートの必要性

考え方・捉え方
本記事内には広告が含まれています。
スポンサーリンク

こんにちは。モウカクです。
今回は主に学校で学んだ知識(以下、一般教養)のアップデートの必要性を痛感した話を書いてみたいと思います。
よろしければ最後までお付き合いください。

スポンサーリンク

自身が学んだ知識・一般教養が現代の認識と一致するとは限らない

先日から一部で話題になっていますが、有名邦楽バンドがリリースした楽曲のMVの映像について、人種差別的な表現なのではないかとの声があがり、結果、バンドの公式サイトから「歴史や文化的背景への理解に欠ける表現が含まれていた」として経緯の説明と謝罪、当該曲のMV公開を停止、等の影響が生じる事態がありました。
この楽曲では題材としてコロンブスが扱われていたのですが、コロンブスの近年の歴史的評価を踏まえた結果、人種差別的表現との声があがったようです。

この話題を通じて、率直に思ったことは「かなり怖い話かもしれない・・・」ということです。
何が怖いのか。「知識・一般教養がアップデートされていないことの怖さ」です。
上記でたまたま例として記載させてもらってはいますが、何も著名な方に限った話ではなく、私達1人1人にも十分関わる話です。

私自身は40代後半に差し掛かっており、義務教育を終えてから30年強の年月が経っているのですが、恥ずかしながらコロンブスは「新大陸発見・到達」という功績を残した人という学校での学習で認識が止まっており、近年の歴史的評価におけるネガティブな側面については全く認識がありませんでした。

また別件ですが、この話題を知った日の夕飯時に家族と話をしていた時にも「知識・一般教養がアップデートされていない」ことを痛感する出来事がありました。

(MV停止の話題から)気付かないうちに変わっていることって沢山あるよね。。。例えば円周率だって、自分らの時は「3.14」って習ったけど、いわゆるゆとり教育の時には「3」に変更になって、最近また「3.14」に戻ったじゃない?

モウカク
モウカク

? そうだっけ・・・?

知らないの?

この時、私自身の円周率の認識は・・・
「所謂ゆとり教育の世代に円周率を3とするというのは話題になってたから覚えている。その後のことは…言われてみれば、また3.14に戻った、っていうのをどっかで見たような見てないような・・・」といった状態でした。
もし今、「今学校で円周率はいくつで教えている?」と聞かれたら、私は「3」と答えるかもしれない・・・

しかし。気になって円周率の定義の変遷を改めて調べてみると、そこには私にとって驚きの事実が。

円周率=3 について(Wikipediaより一部を引用・抜粋)

・「ゆとり世代の時代は円周率を3で教えていた」は誤解であり、正しくない。
・2002年度の小学校学習指導要領の改訂にともなってそれまで「3.14」で教えていた円周率の近似値を「3」で教えることになった、との誤解が世間に拡散されて広まった。
・事実は、小学校学習指導要領では従来通り円周率の近似値は3.14で教えている。一方で「目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮する」との記述も存在していた。
(手計算などでは円周率3を使用するという考え方)
・2008年2月に公表された新学習指導要領では「円周率は3.14とする」のみ記述、「目的に応じて3を用いる」という記述は削除されている。

この時にふと思いました。「これはかなり怖いことかもしれない」と。
学校で習った知識が当時のままで、あまりにもアップデートされていないことに寒気がしたのです。
ちなみに家族の認識も正しくはありません。学校で習った以降の変遷についておおよその把握はしているのですが、正確ではないのです。(でも私よりは全然マシですが・・・)

改めて考えてみると、義務教育や学生時代に学んでいた知識・一般教養は、自分でも驚くほどほぼ当時学んだ知識のままで止まっていることが多いです。

なぜでしょうか。自分なりに考えてみました。
学生時分は生活の主体が学びで、ある種生業のようなものです。一方、学生時分を終えると生活の主体が労働となるケースが大半なので、学生時分と比較して学びに割く時間が減少傾向になります。
更に、減少傾向にある学びの時間の内訳を考えると、働いて生活していくうえで必要な知識をインプットする必要に迫られるので、学生時代に学んだ知識を逐次アップデートすることは、よほど意識して自発的に取り組んでいかないとかなり難しい、というのが私自身の中での結論です。

一方で、知識・一般教養そのものは時代の経過と共に、評価や概念が逐次アップデートされていきます。
何が言いたいのかというと、学生時代から年月が経過するほど、自身の中での知識・一般教養と現在の知識・一般教養の間の乖離が大きくなるリスクが高い、というです。

例えば、私は学生時分を終えて約四半世紀が経過しようとしています(…遠い目)、私が学生時分に学んだ知識・一般教養と現在の知識・一般教養では相当の乖離があると思われます。
(実際に上記に書いたように、コロンブスの歴史的評価の変遷は知らなかったですし、円周率に関する認識は上で書かせていただいた通りです。他には、水の沸点について、学校で習っていたどこかのタイミングで100℃から99.974℃になった気がするけど、今も変わってないんですかね…?)
という例だけをみても、私が学んだ当時の知識・一般教養の認識が通用しない場面は日常に多々あるということになるのです。この自分自身の知識・一般教養の認識と現在の知識・一般教養の認識の乖離が、あらぬ誤解を生むリスクもあるわけです。

こう考えると、知識・一般教養のアップデートは定期的に行う必要がある、という結論に行き着きます。
では、相対的に学びに割く時間が減少する中で、どうアップデートしていくのが良いのか。次の項で考察してみたいと思います。

必要に応じて「地道にコツコツ」アップデートする

年月が経過するほど自身の中での知識・一般教養と現在の知識・一般教養の間の乖離が大きくなる、これは事実だと考えます。時の流れとはおそろしいもの・・・という話はおいておき、

では一般教養のアップデートはどうすれば良いのか?
上でも書きましたが、社会に出て働き始めると、仕事するうえで必要な知識や業界の知識などのインプットを優先するケースが多いため、一般教養のアップデートに割く時間はなかなか取れず優先度は低くなりがち。というか、一般教養のアップデートに時間を割くという発想自体にならないことの方が多いと思います。
中には両立出来てるハイブリッド型のハイスペックな方もいるかもしれませんが・・・少なくとも私はそんな発想には全くなりませんでした・・・(苦笑)

時々ニュース記事などで一般教養のアップデートをするタイミングもあるかもしれませんが、よほど意識していない限り、数日で記憶の奥に眠る可能性が高いと思います。
ドイツの心理学者、ヘルマン・エビングハウスが提唱したエビングハウスの忘却曲線によると、

・1時間後には 56%
・1日後には 74%
・1週間後には 77%
・1ヶ月後には 79%

の記憶を忘れてしまうことを、実験によって示しています。

・・・
というわけで色々考えた結果、知識・一般教養のアップデートの必要性をこれまでほぼ感じてこなかった怠惰な私みたいなのが日々の生活の中で一般教養をアップデートするためには、、、
自身が話題にしたり発しようとする一般教養に関する事象について、自身の認識を過信することなく、相応の乖離があるものと捉えて現時点での認識がどのようなものであるかを逐次調べて、自分自身を更新していくのが一番近道かな・・・との結論です。

考えた結論としては地味ですが、地道にコツコツやるのが何気に一番の近道であること、多いですよね。
というわけで、知識・一般教養のアップデートに関する考えを綴ってみました。
ここまで読んでくださったみなさんの、何か1つでも参考になれば大変嬉しく思います。

ちなみに余談ですが、私自身、当該バンドについては存在は存じ上げていたものの、楽曲についてはあまり知りませんでした。ただ今回の件についての一連の対応をみて、「音楽や制作する個々のコンテンツにすごく真剣に、真摯に向き合っている方達なんだな」と感じました。
当該バンドの皆さんには、今回のことを良い経験だったと思えるよう糧にしてもらって頑張っていただきたいですし、音楽好きの1人として素直に応援したいと思います。

それでは今回はこの辺で。長々お付き合いくださり、有難うございました m(__)m

コメント

タイトルとURLをコピーしました