PR

日々を生きるための糧、活力を得るということ

考え方・捉え方
本記事内には広告が含まれています。
スポンサーリンク

こんにちは。モウカクです。
ここ数週間、各種番組や動画コンテンツなどを見させていただき、田原俊彦さん(トシちゃん)のパフォーマンスや仕事への姿勢を通じて改めてエンターテインメントから与えてもらえるエネルギーの大きさを実感しています。
今回は、「こういう世界線があるといいなぁ」「いずれ実現させてみたいなぁ」と個人的に感じていることを率直に書いてみたいと思います。

現時点では妄想めいた話ではありますが、もしよろしければ最後までお付き合いください。
それではいきましょう。

スポンサーリンク

「推し活」は生活の張りの一部

最近の記事では田原俊彦さん(トシちゃん)のことを取り上げる機会が多いのですが、私自身もトシちゃんの活動やファンの方々の応援する雰囲気を知って、改めて「推し活」というのは私達人間の生活の張りの一部となっているのだなぁと実感しています。

歌・ダンス・お芝居・お笑い等、ジャンルの違いこそあれ、私達は何かしらのエンターテインメントまたはスポーツ観戦に触れることで日々のエネルギーを受け取っている側面があると思います。直に触れる機会ともなれば、その効果は何倍にも増幅すると思います。

「今日も楽しかった。明日からも頑張ろう」
「1ヶ月後のライブ参戦に向けて、体調整えて気持ちを盛り上げていこう」

といった具合にです。皆さんもこういった感情や経験、あるのではないでしょうか。私ももれなくその1人です。
特に、自分自身が苦しい時や、刺激がなく淡々と毎日を過ごしている時などのタイミングで上記のエネルギーを渇望するような傾向があるように思います。
そこまで考えた時に、ふとこんな思いが頭をよぎりました。

「病気で苦しんでいる人達に、元気やエネルギーを与えられるような場がもっとあっても良いのではないか」

これは私自身が現在抱えている状況・環境から率直に感じたことですが、これだけでは漠然としていてボンヤリしているので、以降でもう少し細かく書いていきたいと思います。

生活の張りがなくなるということ

ここからは、私自身が抱えてきた状況・環境について書かせていただきます。
私は10代前半より家族の介護に携わり続けています。いわゆる「ヤングケアラー」経験者です。

最初のきっかけは親が体調を崩したことでした。精神疾患で、病名は統合失調症でした。
徐々に幻覚・幻聴・奇声・徘徊などの症状が目立つようになり、症状が強い時にはまともなコミュニケーションが難しいこともありました。
他の家族はそんな親のことを心配はしたものの、介護に積極的な姿勢ではなく、どこか他人事のように接していました。(精神疾患を患った事実を認めたくなかっただと思います)
どんどん症状が悪化する親の一挙手一投足に対して目を光らせ、突飛な行動にでる兆候が見えたら察知して対応。その役割はいつの間にか私の役目になっていました。
それ以降、他の家族が体調を崩すたびに私が介護をする図式が出来上がっていきました。(家族の方も私が介護するもんだという思い込みがあったように思います)

という事で、私自身は肉体疾患・精神疾患の両方とも介護(長期入院療養を含む)に携わった経験があるのですが、病気を患っている人は行動に制限が掛かることも多く、その結果元気がなくなってエネルギーが低くなりがちです。
そういう人達が前向きなエネルギーを受けれる1つとなるのが、エンターテインメントではないかと思うのです。

今回は、私が介護に携わるきっかけとなった、親の精神疾患にフォーカスして書かせていただきます。
私の親の症例で言えば、統合失調症という診断は出てるのですが本人に病気という自覚がありません。本人と話をしても「自分は正常である。病気ではない」との主張を繰り返すばかりです。(表現が難しいですが、言い換えれば自分の中(精神世界と言えるでしょうか)でもう1つの世界が存在していて、そのの精神世界の方が実体と認知してしまっている…こんな感じでしょうか。)

現状は、精神病院の閉鎖病棟に15年強の入院が続いています。
幻覚・幻聴・奇声・徘徊が日常的に継続し、症状が強い時には拘束措置を受けることもあります。
主治医の診断は、「重度の統合失調症。意思疎通が困難で自力での日常生活は限りなく不可能。入院加療を要する」というもので、近くで見ている身としても非常に適切な診断だなと感じています。

一方で親側からすると、自分は「病気でなく正常」という認知のまま、日常生活の多くに制限がかかっている状態になります。特段具合が悪い訳ではないという認知なのに、長期間にわたって閉鎖空間で生活の多くを拘束され、社会生活がままならない状況で1日1日を過ごしていることになります。

この状態が続くとどういう状態になるか。
あくまで私の親の症例で恐縮ですが、だんだん無気力になって日々への活力・エネルギーが失われていきます。
調子が良く、意思疎通が何とか叶う日ですら、

モウカク家族
モウカク家族

・何かしたいことがあっても、ことごとく却下される。何をしたっていうんだ?
・どうせここから出れないんでしょ。もういい。何もしたくない!

こんな感じで前向きなエネルギーをどんどん感じなくなります。

この話を突き詰めると、「精神疾患を患っている自覚のない精神疾患の患者にどう認知させるか」みたいな話に繋がっていきそうですが、私は専門家ではないので語る立場にはありませんし、本記事で触れたいのはそこではありません。

私の見てきた限りでの個人的意見で恐縮ですが、精神疾患で閉鎖病棟にいらっしゃる患者さんにはおおよそ似たような傾向があるような気がしています。具体的には以下の内容です。

「患者自身の病識の自覚と周りから見る病識の自覚に乖離がある」
「社会生活・日常生活を送りたいと思っているが周囲からの許可が得られずジレンマをかかえている」

このような思いや感覚が積年に渡って積み重なることで、自己受容感・自己肯定感・自己効力感が徐々に低下し、日々の生活への活力・エネルギーが失われていっているように見えてしまいます。

長年、介護で病院通いをしていると、精神科に携わる医師・看護師の方々のスタンスも何となく感じ取るようになります。決して冷たいわけではないのですが、患者と相対するときはどこか素っ気ない・軌道修正のために会話を流しているような雰囲気を感じ取れる時が時々あります。
これは致し方ないのかな、と思います。1人1人に正面から向き合い続けていたら身が持たないだろうなと理解できるからです。(実際に私は親1人の介護に相対するだけでもかなり疲弊します・・・)

上記で書いたことを肌で感じながら、これまで約30年強にわたって親の介護に携わりつつ、他の患者さんの姿も目の当たりにしてきました。

生活の張りの一部としての「エンターテインメント」

話を戻しましょう。上の方で書かせてもらいましたが、

「病気で苦しんでいる人達に、元気やエネルギーを与えられるような場がもっとあっても良いのではないか」

と感じた件です。

またまた私の親の話で恐縮ですが、病気を患う前はテレビの歌番組等で自分が好きだった歌手(西城秀樹さん、郷ひろみさん、松田聖子さん、田原俊彦さん、中森明菜さんetc・・・)を楽しそうに応援していました。
病気を患って以降は、部屋に引き籠ったり寝ていることが生活の多くを占める中で、歌番組が始まると、ノソノソと起き出してテレビの前でボンヤリと見ている、そんな姿をたくさん目にしてきました。

たまたま病気を患い、長期間にわたる療養が必要であったり・介助が必要であったりという違いであって、自分が好きなものを応援する思いや好きなものから活力・エネルギーをもらえる場はあってもいいのではないか、と。
病気を患ったから「推し活」「オタ活」をしてはいけないということはありません。むしろ、活力・エネルギーが低くなりがちな状態だからこそ、より積極的に取り入れてもいいんじゃないか、というのが個人的意見です。

先日、何かの歌番組で病院施設か介護施設(うろ覚えです、すみません)で入居者を集めて歌手の方が歌唱パフォーマンスをしているのを拝見し、非常に印象に残りました。
歌唱パフォーマンスを聴いている皆さんの顔は非常に嬉しそうで、活力・エネルギーを歌手の方から受けているんだなと思えた映像でした。
このような、いわゆる出張パフォーマンスのような機会がもっともっと増えると良いな、増やせないかなと思った次第です。

私達が好きなアーティストのライブに行くとき、身だしなみには気をつかうと思います。実際に見られているかどうかはともかくとして、「格好よく」「綺麗に」「可愛く」見られたい願望があるからです。
ライブ当日まで体調崩さないようにしよう、数日前からは睡眠しっかり取って万全の状態で会いに行こう、これらの行動心理もライブ当日に自分のベストの姿で見に行きたい、という生活上のハリがあるからです。

このような日常生活におけるハリとなる機会を、例えば出張パフォーマンスなどの機会を設けて私が見てきたような病気療養されている方々に届けてあげられるといいなと思うのです。病気の改善に直接的に繋がるわけではないでしょうが、日々を過ごす糧となる機会はもっとあってもいいのかなと思います。

以上、今回は個人的な思いから妄想的なことを記事にしました。
上記で書いたことは賛否両論出る内容であろうことは承知しています。今回は私の親の症例をベースに記事を書かせてもらいましたが、身体疾患の方・精神疾患の方、症例はお一人お一人で当然異なります。むしろ静かな環境で絶対安静という方もいらっしゃるかもしれませんし、実際には上記のような出張パフォーマンスの実現には相当高いハードルがあるだろうことも想定できます。

ただ、繰り返しになりますが日々を生きるための糧、活力・エネルギーを得る機会というのは皆同じくあって良いのではと思っています。そんな思いから上記に書いたような動きがもっと機会が増えたり、裾野が増えたりすると良いな、今は全然まだまだですが、いずれ自分でもそんな動きの一環に携われたりすると良いな、そんな思いで本記事を書きました。
そしてそんな出張パフォーマンスの機会が巡ってきたら、全世代からメディアスターとしての知名度も高いであろう、郷ひろみさん、田原俊彦さん、松田聖子さん、中森明菜さんなどが仮にいらしたら、かなり良い活力・エネルギーの補充になるんじゃないかなぁとの妄想も追記しておきます。

今は妄想。でも実現させてみたい理想ではあります。
それでは今回はこの辺で。長々お付き合いいただき有難うござました m(__)m

コメント

タイトルとURLをコピーしました