こんにちは。モウカクです。
先日、SNSでの投稿をきっかけにふと思い出したことがあり、今回はそのことを記事にしたいと思います。
私自身が大学時代に大変お世話になった教授がいたのですが、その教授の生き様・考え方が今になってとても自分に刺さるものがありますし、自分自身が苦境を迎えたときに教授の生き様・考え方を思い起こして、パワーに変えていることに改めて気付きました。
その教授の生き様・考え方から私自身が今になって学びとなったことを綴ってみたいと思います。よろしければ最後までお付き合いください。それではいきましょう。
業界で異端児だった教授の口癖だった言葉
本記事で紹介する教授(以下、A教授と呼びます)との出会いは今から20年以上前、私が大学時代のことです。
当時、そのA教授の肩書は助教授(今でいう准教授ですかね)だったと記憶しています。年齢は30代半ばから後半に差し掛かろうかという方でした。明朗活発で面倒見の良い兄貴分といった感じで学生からは割と人気のあった教授でした。私自身はA教授のゼミ生というワケではなかったのですが、なぜか接する機会が多くあり、気付けば講義と講義の間の空き時間にA教授の研究室に行って時間を潰す、そんなこともありました。(今改めて考えると、教授からすればエラい迷惑な話ですよね…当時はホントすみません m(__)m )
そのA教授が当時、口癖のように言っていた言葉が印象に残っています。それは、
言いたいヤツには言わせておけ。自分は自分だ。誰かの事をバカにしたり見下してくる人
は自分の価値観に捉われて視野を広く持てていないだけなんだ。
はぁ、そういうモンですか・・・
当時の私は、何度も何度も聞いたA教授の上記の言葉をどこか懐疑的に聞いていました。
なぜだったのか?これには当時なりの理由がありました。
私が大学在学当時、A教授は業界ではかなり異端な分野の研究を専攻されていて、他にその分野を研究対象にしている教授は誰もいませんでした。
「A教授の専攻分野は業界には必要ない。無駄な研究だ」との批判的な声も一定数挙がるほどで、他の教授陣からはとても白い目で見られていました。学生からの人気はそれなりに高かったと先に書きましたが、同業者の教授陣からの評判は芳しくありませんでした。
私も時折他の教授から、
A教授の研究は無駄だから、あまり真面目に相手をしないように。
と何度かクギを差されたこともあります。
今は分かりませんが、私が在学当時は大学教授陣は年1回ペースで学術論文を作成し、自身が所属する研究学会で発表を行うことがスタンダードだった記憶があります。
他の教授陣から聞いた話では、A教授は毎年もれなく学術論文を作成し所属学会で発表していたそうですが、研究発表の度に出席者から嘲笑が漏れ、質疑応答は皆無だった時期がひたすら続いたそうです。(私が在学当時は「学術論文の発表で質疑応答がないのは恥ずべきこと」との認識がありました。今はどうなんでしょうか?)
上記のことはA教授自身からも聞いたことがありました。「私の論文は誰も質問者がいないんだ」と。
実際どう思っているのだろう。ある時、A教授に聞いてみました。
論文発表で質疑応答がないというのは、どう考えているんですか?
あまりいい事ではないと思いますが…
別に何とも思っていない。チャレンジ自体は自由だろう。
そもそも人をバカにする権利なんて誰にもないんだ。
全く意に介している様子はありませんでした。
正直に言えば、私自身もA教授には大変お世話になっていましたし人間的には好感を持っていましたが、研究者としてのスタンスには疑問を持っていました。そして少しバカにもしていたように思います。
誰からも見向きもされない、論文発表の場で質疑応答が一切ない、業界内で異端の研究を何年も続けているのはただの自己満足ではないのか。そんな思いを感じていました。
上記で紹介したA教授の口癖をどこか懐疑的に聞いていたのは、こんな思いを持っていたからだろうなと、今改めて振り返って感じています。
・・・あれから20年以上。
A教授の研究は業界のトレンドとなり、業界の権威の1人として活躍されています。
20年前には業界の異端とされ、ほぼ誰からも見向きもされなかった研究を続けていたA教授。時を経てその研究分野は業界のトレンドへと変貌したのです。
新しい取り組み = 変化を与える
話は変わりますが、上記を書きながら先日読んだ記事が同じようなことを紹介していたなと思いだしました。
現在開催されている夏の全国高校野球。3回戦まで進出して惜しくも敗れた福岡県代表の西日本短期大学付属高校の西村監督の試合談話です。
いくつかのメディアでも取り上げられていましたが、西村監督は元プロ野球選手で現在北海道日本ハムファイターズの監督を務められている新庄剛志監督と母校である西日本短期大学付属高校の同級生・野球部のチームメイトだったとの事で、8月17日に行われた3回戦は新庄監督も甲子園に観戦に訪れていらっしゃいます。
試合後に「新庄監督から学んだこと」を質問された西村監督は以下のように回答されています。
(プロの世界だから次元が違うとの前置きをして)
・今までスポットライトを浴びてこなかった選手をポンと引き上げて活かす。それによって周りも「やれる!」と思える選手起用をしている気がする。組織の活性化とはそういうことではないかと思う。
・組織の長が動かしやすい人達が組織の中で抜擢される傾向が多いと思う。一方で、変化を与えるということは新しいことに取り組むこと。新しいことに取り組めば結果はすぐには出ない。だから叩かれてしまう。
・(新庄監督は)組織の長として新しいことに取り組み、我慢して育てて今の日本ハムを作っている。野球だけではなく、学ぶべきところが沢山ある。
現代社会の縮図、構造上の課題を表していらっしゃる感じがして、非常に考えさせられました。
特に「変化を与えるということは新しいことに取り組むこと。新しいことに取り組めば結果はすぐには出ない。だから叩かれてしまう。」という部分。私が大学在学当時のA教授の姿と重なって見えたのです。
改めて考えると、A教授は自身の研究に際して業界内にあった固定概念や既存の風習に捉われず、それまでになかった新しい視点での研究にひたすら取り組んでいたのだと感じるのです。言い換えれば、それまでの業界の既存風習や研究概念に変化を与えようとしていたのだと思います。
上記西村監督の談話にもありますが、新しい研究視点での取り組みなので結果はすぐには出ません。周囲からの理解はなかなか得られず、白い目で見られ続けた時期が長く続きます。
それでもA教授は折れることはなかったのです。
・自分は自分
・チャレンジすることは自由
・言いたいヤツには言わせておけば良い
・今は私の研究が理解されないだけだ
これらの言葉を口癖として言い続け、自分を信じて貫き通したA教授。その言葉と生き様を改めて考えると、素直に「凄いな、格好いいな」と思えます。
上記西村監督の談話にあるように、新しいことへの取り組みを我慢して育て続けた結果、業界のトレンドとなる研究にまでなったのですから、凄いという思い以外には出てきませんし、今になって改めてとても学びになると感じています。
まとめ
以上、今回の記事では、過去にお世話になった大学時代の教授の言葉や生き様について今改めて感じることを綴ってきました。改めて振り返ってみて強く感じることは・・・
凄い、格好良い、こういう風にブレずに生き抜きたい
このような感情が湧きあがってきます。
最近の記事では、私自身がこの先の人生において目標・参考としたいロールモデル的存在として田原俊彦さん(トシちゃん)や大相撲の横綱照ノ富士関のマインドや向き合い方を取り上げさせていただくことも多いですが、本記事のA教授を含め、私自身がロールモデル的存在として目指したいと思う方々には、以下の共通項があるように感じます。
このように整理して考えると、自分が目指したい生き方・生き様というのが分かってくると思います。
私は上記のような生き方・生き様に格好良さを感じるので目指していきたいと思いますし、長期間にわたって自分の信念を貫き通し、結果大きな成果を出されたA教授のことを思い出し、「自分が直接関わった人の中で、これだけ格好良い生き方している人いるんだな」と感じられて何だか嬉しくなりました。
何だか取り留めのない結論になってしまいましたが、自分と関わりのある人の生き方・生き様を「素敵だ、凄い、格好良い」と思えることって、自分自身にとって大きなパワーになります。よければ、皆さんの身近でもそう感じられる人がいるかどうか、チェックしてみて欲しいと思います。
それでは今回はこの辺で。長々お付き合いいただき、有難うございました m(__)m
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