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ヤングケアラー時代に変化したこと、感じたこと7選

介護
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こんにちは。モウカクです。

皆さんは「ヤングケアラー」「若者ケアラー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
一般社団法人日本ケアラー連盟によると、「ケアラー」、「ヤングケアラー」、「若者ケアラー」とは以下のように定義されています。

ケアラーとは

こころやからだに不調のある人の「介護」「看病」「療育」「世話」「気づかい」など、ケアの必要な家族や近親者、友人、知人などを無償でケアする人のこと。
※ 一般社団法人日本ケアラー連盟 ホームページ
https://carersjapan.com/about-carer/carer/

ヤングケアラーとは

家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートを行っている、18歳未満の子供のこと。
※ 一般社団法人日本ケアラー連盟 ホームページ
https://carersjapan.com/about-carer/young-carer/

若者ケアラーとは

18歳~おおむね30歳代までのケアラーのこと。ケアラーに含まれるが、進学や就職、キャリア形成、仕事と介護の両立、人生設計など、若い世代固有の課題を抱える。
・ケアの内容はヤングケアラーと同様だが、ケア責任がより重くなることがある。
・ヤングケアラーからケアを継続している場合と、18歳を越えてからケアがはじまる場合とがある。
※ 一般社団法人日本ケアラー連盟 ホームページ
https://carersjapan.com/about-carer/young-adult-carer/

私は、10代前半から家族の介護に携わり始め、現在に至るまで約30年強、介護を継続しております。
日本ケアラー連盟様の定義に沿えば、ヤングケアラー、若者ケアラーを経ての現役ケアラーということができます。

今回は、ヤングケアラー~若者ケアラー~ケアラーと辿ってきたモウカク自身の経験を振り返って、ヤングケアラー時代にフォーカスし、介護する立場になって変わったこと、感じたことなどについて書いてみたいと思います。
よろしければ最後までお付き合いください。

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ヤングケアラー時代に変化したこと、感じたこと7選

学校に行ってても、家族の状態が気になる

親の介護が始まってからは、常に親の状態を気にかける生活になりました。
親は精神疾患で好不調の波が非常に激しい毎日を過ごしていました。調子が良い時は比較的穏やかに過ごしていましたが、調子が悪いと突飛な行動(暴れだす、奇声を上げるなど)になる時も・・・

家で過ごしている時はまだ目が届くのでよかったですが、家を離れる時(当時は中学生だったので学校ですね)は親の状態が気になってしまい、気がそぞろになっていました。
授業は何とか集中(詳細は後述)していましたが、授業以外の時間は親の状態を考えていることがかなり多かった記憶があります。。。
休み時間に友達や同級生と話している時も、どこか距離があるような、住んでる世界が違ってしまったような、そんな感覚になってしまっていました。

当時は部活動もやっていたので帰宅は夜7時から8時くらいでした。
朝は7時半くらいには出ていたので、部活動を終えてから帰ると約半日は家にいないということになります。
その間、日中の親の様子が気になってしまったモウカク。結果、週の約半分は、終礼後に親の様子を見にこっそり家に帰り、また学校に戻って部活動に行く、みたいな生活になりました。。。
その時の部活は遅刻しているので、部の先輩や顧問からは当たり前のように目をつけられていましたね。。。

何で相談しなかったかって?
・・・何ででしょうね。今考えれば相談出来ればしたかったですね。でも当時はムリでした。
自分が家族の介護という事情を抱えていることを周りに知られるのが嫌だった、のはあったと思います。
また当時は今と比べても、ヤングケアラーに対する理解が全然乏しかった気がしますね。。。
言っても分かってもらえないだろう、みたいな感じで諦めの感情もありました。

休日に遊びにいく事が極端に少なくなる

親の介護をするようになってからは、休日に友達と過ごしたり、外に遊びに行くことが極端に少なくなりました。
もともとかなりのインドア派ではあるのですが、上でも書いた通り、当時は常に親の状態を気にするようになってしまっていたので、目が届かない状態だと落ち着かなかったんですよね。

・・・楽しめないといいますか。
たまに友達と遊んでいる時も「みんな楽しそうでいいな」とか、「親の状態は大丈夫かな」とか、「親のこと放っておいて遊んでていいのかな」などと思ってしまうことが多かったです。
友達と遊ぶ、外に遊びに行く、ということが自分の中で一番ではなくなっていたんですね。

結果、友達からの誘いも理由をつけて断るようになり、外に遊びに行くこともしなくなったモウカク。
元来もっていたインドア派の気質がますます強化されていくことになったのです(苦笑)。。。
ただ、休日はほぼ家で過ごすようになったことは、インドア派の私にとってはプラスになった部分もありました。
親の介護をしながらではありましたが、空き時間には家で自分の好きなことをする時間もとれたので・・・

周囲の些細な変化に敏感になる

これは大きく変わったことですね。
もともと「あれ、なんかピリピリしてるな」とか「いいことあったのかな」などと気が付くことはあったのですが(後々、HSP気質であると知ることになるのですが)、親の介護を始めてからは、より一層周囲の変化に敏感になり、いち早く気付くようになりました。

親の介護をするようになってからは、常に親の状態を気にかけるようになっていたので、その日々を繰り返しているうちに、変化に気付く感覚が研ぎ澄まされていったのだと思います。例えば、、、

・相手が考えていることを何となく汲み取る
・相手が望んでいることを察する
・相手の見た目や持ち物の変化に気付く

上記のようなことがどんどん出来るようになっていきました。
これは、後々社会人になってから周りの空気を割と早く読むことが出来たりして、役立ったと思っています!

周囲に相談したい気持ちもあるが、介護という事情を知られたくないので結局自分で抱え込む

親が精神疾患で体調を崩して以降、他の家族は私に介護を任せ、あまりまともに向き合ってはいませんでした。
精神を患ったという事実を受け入れられず、認めたくなかったのだと思います。
そんな家族の姿を見ていた私は、いつしか「親の状態はオープンにしてはいけないことなんだ」という認識を持つようになっていました。結果、親の介護をしていることを周りに知られたくない、という思いを強くしたのです。

上の項でも書きましたが、周囲に相談というのは当時はムリでしたね。。。
自分と同じ環境の人がどれだけいるのかも分からなかったですし、当時は精神疾患自体への世間の認識が今と比べてかなり差別的だったように思います。
仮に相談したとして、その結果周りから変なヤツと思われるのも嫌だったので、結果的には自分で抱え込む形になっていきました。

結局、親の介護をしていることを周りに知られたくないというよりは、「精神を患った人の子供(家族)と見られるのが嫌」だという感情が一番強かったのだと思います。要は自分自身が傷つきたくなかったんだと。
改めて振り返ると、当時の家族もこの感情が一番強かったのかなと思います。確認したことはないですが。。。

自分の人生の選択において「親の介護」を考えざるを得なくなっていた

これがヤングケアラー当時の自分にとっては一番大きな影響がありました。
はっきり言えば、今現在も影響を受けた生活になっています。具体的に言えば、中学卒業後・高校卒業後の進路を考える際に「親の介護」を念頭に考えざるを得なくなっ、ということです。

自分の将来や人生について真剣に考えるタイミングとして、多くの人が中学卒業後の進路、高校卒業後の進路を考える時が該当すると思います。
私は当時、「自分がどういう道に進みたいか」ではなく、「親の介護をするのに支障がない道」を最優先で考えるようになっていました。いつの間にか自分の人生において「親の介護」が最優先事項になっていたのです。

改めて振り返ると、自分の将来や人生について真剣に考えるべきタイミングで、私は自分自身と真剣に向き合わず、「親の介護が最優先」という思考のみに基づいて進路選択を行っていました
このことが後年になって自分が本当にやりたいことが分からなくなり、苦しむ結果を招くことになります。。。
当時「自分がどういう道を歩みたいか」についてちゃんと真剣に向き合うべきだったな、と心底思います。

学校の授業を集中して聞くようになった

これはいわゆるケガの功名・・・ですね。
親の介護に携わるようになってからは、学校の授業はとにかく集中して聞いていました。

理由は1つ。介護するようになったことでそれまで家でダラダラやっていた勉強の時間がとれなくなったためです。
上でも書きましたが、学校にいる時間も家のことが気にかかってしまい、休み時間などはうわの空でいることが多かったです。介護に携わった当初は授業も全然集中出来ませんでした。
そんな状態がしばらく続いていましたが、ある時、学校の授業が全く理解出来ないことに気付いたのです。
家でも介護に時間を割かれており、勉強を全くしていなかったモウカク。

・・・このままではヤバい。
そう考えた私は、「とりあえず授業だけは集中してやろう」と決めました。
結果、成績は大きな影響をうけることなく切り抜けることが出来たのです。それまでは何事も全然集中力が続かなかったので、やろうと思えば出来るんだなということを実感できた体験でした。

体調不良と思ったときは割とすぐに病院にいくようになった

これは親の介護に携わってから変わったことですね。
自分自身が「体調悪いかも・・・」と感じた時はすぐに病院にかかるようになりました。

理由は、「具合が悪い人をそばで見続けていたから」だと思います。
体験談で恐縮ですが、具合が悪い人をそばで見続けていたことで、「自分が体調悪いと思ったら、なるべく早く対処するようにしよう」と自然に思えるようになりました。
介護に携わる前は、体調悪くても「ちょっと休んでれば治る」的な感覚もありましたが、携わってからは「念のため病院でみてもらっておこう」というマインドに変わりましたね。

結果、ちょいちょい持病は抱えていますが、大きな病気なくここまで過ごせてこれているので自分にとっては良い気付きになったのかなと思います。

最後に ~改めてお伝えしたいこと~

いかがでしたでしょうか。
今回は、モウカクのヤングケアラー時代にフォーカスして、介護に携わるようになって変わったこと、感じたことについて書き綴ってきました。

改めてお伝えしたいことは。。。
今実際にヤングケアラーの立場で過ごされている皆さん。
「なぜ自分がこんな立場に…」などと思い悩むこと、苦しむことも多々あるのではないかと思います。
私自身、実際に経験してきたので気持ちはとてもよく理解できます。

まず1点。介護する立場になって初めて気付けることもある、ということです。
私の場合は日々具合悪く過ごしている親を見続けたことで、自身の体調管理を見直すきっかけになりました。
視点を変えれば、良い経験・気づきになったと思えることも沢山ある、ということは知っていただきたいです。

そしてもう1点。
自分の将来や人生を考える時に、「自分がどういう道に進みたいのか」についてだけはちゃんと自分自身と向き合って真剣に考えることを強く強くおススメします!!
私はこの点を当時おざなりにしてしまったことで、後々「自分のやりたいこと」が分からなくなり長年苦しみました。今この記事をここまで読んでくださっている皆さんには、私と同じ轍を踏んでほしくはありません。

自分で将来や人生を真剣に考えた結果、「介護が最優先」であれば、自信をもってその道を進んで良いと思います。
自分自身と真剣に向き合って決めた道ですから。
一方で「やりたいことは別にある」という場合、状況的な可能・不可能は一旦置いておき、自分のやりたいことについて、家族や周囲に想いを率直に吐き出すことをしてみてください。
今現在は状況的に難しいかもしれません。ただ未来はどうなるかわからないのです。
もしかしたら明日には症状が劇的に改善して介護が不要になるかもしれませんし、協力者があらわれるかもしれないのです。やりたいことへの想いを自身の中に抱え込んでしまっているうちは周りからの理解は得られないのです。

繰り返しますが、私は親の介護を大義名分にして、自身の将来や人生を真剣に考えることをおろそかにしてしまったことで「自分のやりたいこと」が分からなくなり、長年苦しみました。
ヤングケアラーとして介護に携わるのは大変です。ストレスもかなりのものですし、自分のことを振り返ってみても他のことに考えを回す余裕はほとんどなかったように思います。

ですが!「自分の将来や人生で何をしたいのか」これだけは真剣に考える時間を作ってください。
皆さんの人生は皆さん自身のものです。状況はいつ何時変わるかわかりません。
今は無理でも、将来的にはやりたいことが出来る可能性だって十分にあります。

大層なことを言うようですが、「自身が何をしたいのか」を理解しておくと、その後の人生のモチベーションになるんですよね。
ヤングケアラーの皆さんはなかなか余裕がないかもしれませんが、自身の人生のモチベーションを持つ、というのは本当に大事な観点なので、おろそかにせず真剣に向き合っていただければな、と思います。

では今回はこの辺で。長々とお付き合いくださり有難うございました m(__)m

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