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「マイノリティ」な生き方で良いじゃないか!

考え方・捉え方
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こんにちは。モウカクです。
今回は、自称生粋の「マイノリティ人間」である私(苦笑)の経験から、マジョリティとマイノリティに関する話を書いてみたいと思います。よろしければ最後までお付き合いください。
それではいきましょう。

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マジョリティとマイノリティ

皆さんは「マジョリティ」「マイノリティ」という言葉を聞いたことがありますでしょうか。
昨今、色々な分野で使われている表現でもあるので聞き覚えがあるという方も多いのではないかと思います。
改めて、「マジョリティ」と「マイノリティ」について簡単に説明しますと、

【マジョリティ】
多数派、多数者。また様々な経緯により、強い発言力を持って優位な立場に立つグループや人々を指す場合もある。反対語はマイノリティ。
【マイノリティ】
少数派、少数者。偏見や差別等により社会的に弱い立場に置かれているグループや人々を指す場合が多い。性的マイノリティー・難病・障害を抱えている人々や、1人親家庭、ヤングケアラー等が該当するとされます。反対語はマジョリティ。

私自身の話になり恐縮ですが、幼少期の頃から家族・同級生など周りの人達と興味・関心を持つ対象が少し違っていました。言い換えれば、私の興味・関心・趣味嗜好が当時の環境下では「マイノリティ」側だったのです。
例を挙げれば・・・

●スポーツ
家族・同級生が大抵は野球の話で「巨人だ、西武だ、広島だ」といった会話で盛り上がる中、当時はあまり野球に関心を示さず、相撲中継に熱をあげ、やれ北の湖だ、千代の富士だ、高見山だと1人で盛り上がったり、馬術の中継をテレビに噛り付いて見ていました。

●音楽
家族や同級生達がシブがき隊・少年隊・光GENJI・チェッカーズなどを聴きまくって会話が盛り上がる中、私はさだまさし・久保田利伸・徳永英明・オメガトライブといったところのアーティストを好んで聴いていました。

●漫画
同級生がドラゴンボール・北斗の拳・キャプテン翼などを読んで会話が盛り上がる中、わたるがぴゅん!・硬派埼玉レグルス等の漫画を読んで1人で盛り上がっていました。(どっちも凄く面白かったんですけどねぇ…読んでた方いいらっしゃいます?)

●TVアニメ
同級生がウルトラマン・仮面ライダーといった特撮やガンダム・マクロスといったロボットアニメの話で会話が盛り上がる中、全くといっていいほどアニメを特撮やアニメを見てなかったので会話に全くついていけませんでした。(今でも、ウルトラマンや仮面ライダーの種類(バージョン?)の見分けはつきません(苦笑))

他にも、学校での文化祭の出し物の候補・修学旅行の行先決めなどで多数決を採るような場面では、大体最も選択する人が少ない選択肢を選んでいました(中には私だけだった、みたいな事も何度かあった気がします…)
これは社会人になってからも続きました。社内での新規プロジェクト案について複数案の中から選択、みたいなタイミングが幾度かありましたが、決まって最も少数派の選択肢を選んでいました。
加えて1人親家庭で育ち、ヤングケアラーに端を発して30年以上の介護経験・・・自分で言うのもナンですが、マイノリティ要素には事欠きません(苦笑)

振り返って考えてみると、私自身物心ついた時からほとんどの選択がマイノリティ側に属していたせいか、いつの頃からか大勢(マジョリティ)側の選択をした時の自分に違和感を感じるようになっていて、敢えて少数派・マイノリティ側の選択をするようにもなっていた感じもします。
言い換えれば、マイノリティ側でいる自分が心地よかったのだと思います。

自身の経験上、この性質は一般的には非常に面倒なタイプだと思いますし、実際問題とても生きにくいです(苦笑)
学校生活や会社勤めの中で多数決を採る場面ではだいたい少数派にいることになりますので、必然的に自分が選択した意見が採用されることはまずありません。
今改めて振り返ると、上記の行為って意外とリスキーだなって感じる部分があります。
なぜなら、これを繰り返していると、、、

モウカク
モウカク

・自分は周りとは違うんだ・・・
・自分の考えや意見はこのコミュニティでは通用しないんだ

などと自然に考えるようにになります。実はこれは危険な兆候だと感じます。
理由は「自分の意見を否定された」という捉え方をしてしまうことで自己肯定感の低下につながるから。
とは言え、自分の本心に背を向けてハナから自分の意中ではない選択肢を選ぶのも、それはそれで自分で自分を否定しているようなもの。
ではどうすれば良いのでしょうか。私が半世紀近く生きてきて辿り着いた結論を次項でご紹介します。

「マイノリティな生き方」でも良い!

上項で書いてきた通り、そんな生きにくい人生を40年強歩み続けた私。

モウカク
モウカク

どうしたら自分らしく生きれるのか?
・自分は何がしたいのか?
・こんな自分を受け入れてくれるコミュニティがあるのか?

などの悩みとひたすら自己対話して向き合い続けた結果、ようやく1つの答えにたどり着きました。それは

モウカク
モウカク

・マイノリティな生き方でいいじゃないか。
・組織内での生きにくさを感じるなら、組織に頼らない生き方でいいじゃないか。

これでした。これに気付くのに40年強かかりましたが(苦笑)
「何だ、そんなことか」と思われる人もいるかもしれません。でもこれはとても大事な観点なんだよ、と声を大にして言いたいです!

幼少期から少数派の選択ばかりすることが多かった私。裏を返せばその本音は

「周囲に流されず、自分が良いと思ったり感じることを大事に生きていきたい」

ということでした。

幼少期から結果的にマイノリティ側であった選択をずっとしてきたことで、周囲から否定され続けたように感じ、上記の自分の本音を心の奥底にしまい込んでしまった結果、約40年強にわたって生きにくい人生を歩んできたのだと言えます。

学校でも家でもどこか浮いているような違和感を抱きつつ、気付けば周りの顔色を気にするようになり、自分が好きなものを周りに対して発信することはしなくなっていました。でも自分の興味・関心・趣味嗜好は決して変わらなかったのです。
その結果、1人で出かける時に好きな服を着る・1人の時間に好きなスポーツ観戦や音楽鑑賞を嗜むといった1人時間が自分自身の楽しみとなっていきました。
改めて振り返ると、物心ついた頃から周囲からの声が聞こえる度に「自分は間違っているのかもしれない」「自分が好きだと思うものを表だって言うことは控えよう」と無意識のうちに思い悩み、こんなマインドが醸成されていったような気がしています。
そして、自分の本心・自分が望む生き方に気が付くのに40年強の月日を要したワケです(苦笑)

・自分はマイノリティだ…
・自分は組織に馴染めない…
・自分は社会不適合者なんじゃないか…

こんな風に感じている皆さんいらっしゃるかも、大丈夫です。
無理にマジョリティ側に立ち続ける必要はありません。マイノリティでいいんです。
寧ろ強烈な個性じゃないですか。その個性を強みにして、日々明るく自分らしく過ごしていきましょう。

今回は自分自身が向き合ってきた経験から、「マイノリティでも良いんだよ」ということを伝えたくて記事として綴りました。ここまで読んでくださった皆さんの何らかの参考になれば大変嬉しいです。

それでは今回はこの辺で。長々お付き合いいただき有難うございました m(__)m

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