こんにちは。モウカクです。
今回は2024年6月12日現在、ニュース記事で話題になっている「中学のダンス部活動におけるヒップホップ禁止令」のことについて、個人的に思うことを書いてみたいと思います。
概要
話題になっている「中学のダンス部活動におけるヒップホップ禁止令」のニュース、どういうことなのかを以下簡単に記載します。
上記ニュースを読んだとき、率直に言って目を疑いました。そして、悲しくなりました。
学校側が自身の倫理観や価値観を生徒に一方的に押し付けているように見えてしまったからです。
そしてしばらく考えるうちに、何点かの疑問が生じてきました。以下にて個別に考えてみたいと思います。
疑問点
疑問① なぜヒップホップダンスをやめる必要があったのか?
元記事にある学校側の対応を見返すと、やたらダンス部、とりわけヒップホップダンスをやり玉に挙げているような印象を受けます。時系列を並べると、、、
…改めて時系列並べて考えてみたけど、、、
これ、はっきりいってイジメじゃない? 学校側の。
昨年の体育祭でのヒップホップダンス発表NGからずっと一貫して、生徒の想いや意見は完全に無視してる。
それまで週2回、ヒップホップ専門のコーチの指導まで受けていたわけですよね。
それだけ熱を入れて取り組んでいたものが昨年から一転。まるで存在自体を否定するかの学校側の動き。
これじゃダンス部の生徒たち、心折れますよ。
ただでさえ多感な時期に、好きで・やりたいと思って一生懸命取り組んでいた物事について全否定されたようなものだから。
さらに疑問なのが、学校側(校長)の対応やコメント。
「運動部の部活動は全中連を目指すべきとの思いから創作ダンスに変更。ヒップホップは外でやれば良い」
一方で、ヒップホップダンスは、創作ダンス・フォークダンスとともに「現代的なリズム表現のダンス」として新学習指導要領に基づく中学保健体育科の資料にも記されているとのこと。
中学保健体育科の新学期指導要領に「現代的なリズムの表現」としてヒップホップダンスと創作ダンスが並列で表記されているワケですよね?
中体連の概要や定義は調べてないのでよく分かりませんが、指導要領に「現代的なリズム表現」と記されているヒップホップダンスは中体連ではやってはダメなんでしょうか?
もし何らかの理由で中体連側がヒップホップダンスがNGだとしたら、中体連が新学期指導要領に即していないことになるのでは?
また、校長の「ヒップホップダンスは外でやれば良い」というのは、不適切で言ってはいけない発言だと感じます。
中学保健体育科の新学期指導要領に「現代的なリズムの表現」としてヒップホップダンスが記されているのであれば、中学校の指導範疇にヒップホップダンスは含まれることになるはずです。
「外でやればよい」というのは、「学校で指導することではない」という解釈に思えるので、本来指導するべきものを指導しない、という観点で不適切な発言なのではと感じました。
長々書きましたが、要は中学保険体育科の新学期指導要領にヒップホップダンスが記されている以上、除いてはいけないものだと思いますし、学校側が主張している内容も納得できる論拠がなく説得力がありません。
疑問② 生徒の想いや意見は尊重されていたのか?
上記の項でも書きましたが、学校側の一連の動きは生徒を大事にしているようにはとても思えません。
言い換えれば、学校側(校長をはじめとする教師の方々)が大事にしてきた価値観・倫理観のみを認め、それ以外の価値観・倫理観は受け入れない、という姿勢を強く感じます。
学校は生徒達を育み、育成する場です。
教員の方々は仮に誤った道に進もうとしている子がいたら正してあげる必要がありますが、一方で生徒達がやりたい・取り組みたいと感じている物事については寧ろ支援してあげるべきだと思うのです。
それが生徒達の自主性を育むことになりますし、本気で取り組むことの大切さを学べる大切な機会ですから。
やりたいこと・本気で取り組んでいたことが急に出来なくなってしまう生徒達のことをちゃんと考えたうえでの対応だったのでしょうか。申し訳ないですがとてもそうは思えません。
一連の学校側の対応は、生徒達の「本気で取り組むこと」「夢や目標に向かって努力すること」を学べる機会を奪ってしまっているように見えるのです。
疑問③ 長期的なビジョンを踏まえての対応なのか?
3つ目の疑問、一連の学校の対応に関して学校の将来を見据えた長期的なビジョンに基づいての対応なのかという点です。失礼ながら、おそらく違うだろうと感じています。
私は東京在住ではありませんので、実情と違うことを書いていたら大変申し訳ないのですが、公立学校の教員であればおそらく2~3年(長くても4~5年)で別の学校に転勤という形になると思います。
(少なくとも、私が住んでいる地域の公立学校教員は上記スパンで転勤しています。)
何が言いたいかというと、4~5年後に当該中学に在籍する教員が何人いるのだろう、ということです。
私の肌感覚では、大半は入れ替わると思います。
今当該中学にいる教員の方々が別の学校に転勤し、仮に自分の価値観と相いれなかったら、、、また同じことを繰り返すのでしょうか。
また、数年後に当該中学に赴任している教員の方々が仮に革新的な方々だとしたら、元の革新的な校風に戻るのでしょうか。
想像するに、おそらく実態は上記のような感じなのだと思います。
ですが、これでは生徒が振り回されるだけです。
会社でも社長や経営幹部が交代すれば社風や方針がガラッと変わるなんてのは当たり前の話です。
ただ、会社の社風や方針が変わった場合、従業員には「そこで働き続けるかどうか」の選択をすることが出来ます。
方針変わっても出来ると判断すれば続けるだろうし、難しいと判断すれば転職が視野に入ってきます。
今回の話は公立中学の生徒が対象です。従業員とは違って選択の余地がありません。
方針が変われば、本人にとって良かろうが悪かろうが、自分の中で納得するしか選択肢がありません。
この時期の生徒は非常に多感で、自分がやりたいことや将来のことなどを色々考え始める時期でもあります。
何より学校は生徒を健全に育成する場として一定の担保が保たれてなければいけません。
学校側(校長や教員)の価値観を押し付けることで生徒たちの成長の場を奪うことはあってはいけないと感じます。
生徒はもちろんですが、校風を含む学校自体の育成・存続も大切にしてもらいたいと感じます。
おわりに
今回の記事を目にした時、非常に悲しい気持ちになりました。
当事者の生徒の皆さんは、もっとつらく切ない思いをしたのではないかと感じます。
今回のことにおいても、出来る限りよい解決に向かうことを願ってやみません。
最後に。記事の中で「涙ながらに抗議」という部分を読ませていただきました。
とても悔しくつらい思いをされたんだろうと思うと、それだけでまた切なくなってしまうのですが、涙を流してまで訴えたというのは、それだけ「本気で取り組んでいたこと」の裏返しでもあると思うのです。
本気で取り組んでいたことだからこその涙、だと思います。
今の時期に「本気で何かに取り組む」、「夢や目標に向かって努力する」こと自体、とても素晴らしいことなので、そこだけでも自分自身を褒めてあげて欲しいと思います。
(学生時代を適当に過ごしてしまった私は、後々やりたいことが分からなくなってとても苦労しました。)
悔しくて泣けてくるのも「本気で頑張ったから」こそ。そんな自分をまずは褒めてあげてほしいです。
長い人生、そうそう上手くいくことだけではありません。正直上手くいかないことの方が多いと思います。
ただ、結果上手くいかなかったことでも「本気で取り組んだ自分」に嘘はないです。ここにはぜひ自信をもって日々過ごしていただけたら大変うれしいです。
ニュース記事を読んで、一連の対応に違和感や理不尽さを感じ、個人的に感じたことを書き綴らせてもらいました。長文乱文失礼しました。
それでは今回はこの辺で。長々いお付き合いくださりありがとうございました m(__)m
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