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やりたい事・望む生き方のヒントは幼少期にある!

考え方・捉え方
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こんにちは。モウカクです。
今回は、以下のような悩みを抱える皆さんに向けて記事を書いてみたいと思います。

・自分のやりたい事ってなんだろう・・・?
・自分はどういう生き方をしたいんだろう・・・?

上記のような悩みをお持ちの方って本当に多いんですよね。かくいう私自身も長い間この悩みを抱えてきた1人なので、気持ちはとてもよく分かるつもりです。
そこで今回は私自身の経験から、「自分のやりたい事・希望する生き方」というのは、意外と自分の幼少期の体験・感情に隠されているものだよ、という話を綴ってみたいと思います。よろしければ最後までお付き合いください。
それではいきましょう。

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国語の授業で出された課題「百人一首の好みの句」

ここからは私の実体験をお話させていただくのですが、皆さんは「百人一首」ご存知ですか。
おそらく学校の授業で名前くらいは耳にしたことあると思いますし、もしかしたらご家庭にある、という方もいらっしゃるかもしれませんね。
Wikipediaによれば、百人一首とは以下のように説明されています。

百人一首とは(Wikipediaより抜粋・引用)

・百人の和歌を一人につき一首ずつ選んで作られた秀歌撰。百人首とも呼ばれる。
・平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰であると考えられている。
・藤原定家が京都小倉山の山荘で鎌倉時代初期に揮毫した小倉山荘色紙和歌に基づくものが「歌がるた」として広く用いられ、後世に定着して小倉百人一首と呼ばれている。

競技かるたとしても知られていますよね。(私はもっぱら坊主めくり専門でしたけど・・・知ってる方いますかね?やると結構燃えるんですよ(笑))

話を本題に戻しましょう。
私が百人一首の意味合いをちゃんと知ったのは、小学校高学年の時でした。国語の授業で百人一首に触れる機会があったのです。(当時、家にも百人一首自体はありましたが先にも書いたとおり、ほぼ坊主めくり専門の遊び道具と化していたもので・・・(苦笑))

その授業で、当時の国語の先生(私の時代では、ほぼ全教科担任が授業を受け持っていましたが)からこんな課題が出されたのです。

担任
担任

1週間後の国語の授業までに、百人一首の全句から良いなと思った句を3つ選んできなさい。発表してもらうと思うからそのつもりで。

学校の授業に関しては割と真面目に取り組んでいた方だったので、特に「イヤだなぁ」などと感じることもなく、家に帰ってから素直に課題に取り組んでいました。調べていくうちに、

モウカク
モウカク

へぇ、この句はこんな意味だったのかぁ・・・

などと感じ、割と楽しんで取り組んでいた記憶があります。
そんな感じで1週間を過ごした私が良いと感じて選んだ句、以下の3句になりました。

55番 大納言公任
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ)
≪現代訳≫
滝の流れる水音は、聞こえなくなってからもうずいぶんになるけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でも人々の口から聞こえていることだよ。


70番 良暹法師
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むればいづこも同じ 秋の夕暮れ
(さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆふぐれ)
≪現代訳≫
あまりにも寂しさがつのるので、庵から出て辺りを見渡してみると、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れがひろがっていた。

77番 崇徳院
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
(せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ)
≪現代訳≫
川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。

※現代訳については、以下サイトより引用させていただきました。

当時、上記の句を選んだのは深い意味は無かったと思います。語呂感や何となくの意味などを踏まえ、半ば直感に近い感じで選んだようなものです。
この経験が後々になって意外な部分とリンクすることに気付いたのです。
どういうことか。以下で詳しく掘り下げてみましょう。

百人一首の選んだ句に、自分の望む生き方・人生観が記されていた!

上記タイトルに書いた通り、幼少期に選んだ百人一首の句に、自分が望んでいる生き方や人生観が描かれていることに気が付いたのです!

私自身、数年前まで自分自身のやりたい事が分からずにひたすら悩み続けていました。
20年強務めた会社に違和感を感じて退職、転職活動するも全滅して絶望。何とか立ち上がるきっかけを考え、プロのコーチングを複数受けながら、ひたすら自己対話を続ける日々を約1年半送りました。
その結果、

モウカク
モウカク

・自分が経験してきたことを自身の力で発信することで誰かの役に立ちたい。
・自分の力で何かを生み出すことにチャレンジしたい。

自分自身の中にこのような願望があることに気付き、現在は独立して活動という道を選択しています。
ここで改めて考えてみると、上記で挙げさせてもらった百人一首の55番、

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

この句で詠まれている意味合いと私自身が望む生き方にどこか通ずるものがあるように感じるのです。
「自分自身の力で何かを生み出して発信し、願わくば大きな成果を上げたい」と望んでいる自分の生き方。後世に名が伝わる作を残したいという気持ちを詠んだ上記の句に否が応でもシンパシーを感じてしまいます。

また過去記事で紹介していますが、私の人間関係のスタンスとして今現在関係性を持っている人達との付き合いを大事にしています。逆に言えば、属するコミュニティが変わると、以前のコミュニティで付き合いがあった人達とは自然と疎遠になることが多いです。
私は、コミュニティが変わる時(卒業、異動、転勤、転職etc)というのは、そのコミュニティでの人間関係は一旦学び終えるもの、という考え方にたっています。また、今時点では疎遠の人でも新たに学ぶべきことが出来れば、必要なタイミング、かつお互い成長した姿で再会するであろうとも考えています。

この人間関係、コミュニケーション論の観点でも、上記百人一首の77番、

瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

この句で詠まれている意味合いにもシンパシーを感じてしまいます。「この先に障害があってもきっと未来には結ばれる」という恋心の句ではありますが、私自身はこの句の意味合いに「今は会わなくなった人でも、お互いに本当に必要なら然るべきタイミングで再会する」、こんな思いも込められているような気がしています。

まとめ

いかがでしょうか。
今回は、「自分のやりたい事・自分が望む生き方」のヒントは自分自身の幼少期の体験や感情に隠されているもの、という話を私自身の体験談から書かせてもらいました。

上でも書きましたが、私は自分のやりたいことが分からずに本当に長期間苦しい思いをしました。
コーチング、自己対話などをひたすら続けた結果、ようやく自分が目指していきたい生き方を見つけることが出来ましたが、その当時は百人一首のことは全く頭に浮かぶこともありませんでした。

今改めて考えると、半ば直感だったとは言え自分が良いと感じて選んだ句には何らかの理由があったのだと思えてなりません。上の項では書きませんでしたが70番の句、

寂しさに 宿を立ち出でて 眺むればいづこも同じ 秋の夕暮れ

この句についても、私自身が仕事・旅行で各地を訪ねた時に「どこであっても同じような光景を見るものだ」と感じることが割と多いので、やはりシンパシーを感じる部分があります。

言い換えれば、幼少期に半ば無意識で選択していた句は、未来の自分の生き方・人生観・価値観に通ずるものがあったというワケです。「ただの偶然」と言う人もいるかもしれませんが、私自身は偶然とは考えていません。
幼少期というのは、人生の中で自分自身の中で情報量が最も少ない時期です。つまりは自分の趣味嗜好や感情に本音が見てとれる可能性が高いとも言えます。年齢を重ね、大人になる毎に加速度的に自分の中で情報量が増加し、自分の本音を出しにくくなってしまう傾向が高くなります。「自分のやりたい事・自分の望む生き方」を知る最大の手がかりは、実は自分自身の幼少期の体験・感情なのだと考えます。

・自分のやりたい事が分からない…
・自分の望む生き方が分からない…

このような悩みを抱えている皆さん。是非一度、皆さん自身の幼少期の好み・趣味嗜好・どんなことに感情を動かされたのか等について振り返り、思い出してみてください。
その中に、皆さん自身の悩みを解決する大きな手掛かりがきっと見つかりますよ!

それでは今回はこの辺で。長々お付き合いくださり有難うございました m(__)m

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