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自分の本心・本音を隠して過ごし続けるとどうなる?

考え方・捉え方
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こんにちは。モウカクです。
今回は「本音を隠して生きること」が招く弊害と、その乗り越え方などについて私自身の経験則から書き綴ってみたいと思います。よろしければ最後までお付き合いください。

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本音を隠して生きたことによる弊害(体験談)

冒頭でも書かせてもらいましたが、私は幼少期、物心がついた頃には家族の顔色を伺って生きるようになっており、自分の夢・やりたいことは心の奥に押し込めていました。(正確には、顔色を伺って生活するうちに、自分の夢・やりたいことは表に出してはいけないという認知が無意識のうちに根付いている状態になっていったと言えます

思い返せば、家族からは事ある毎に

モウカク家
モウカク家

・モウカクにはこれは向かない
・モウカクはこれが得意だからこういう道に進みなさい
・あれはしてよい、これはしてはダメ!

と口酸っぱく言われ続けてきた記憶があります。
気付いた時には、「自分は家族が喜ぶ選択をしていかなければいけないんだ」という認知が自分の中に出来上がっていたのだと思います。(こう書いておいてなんですが、家族には本当に感謝してます!) 

また私自身、家族・同級生など周りの人達と興味・関心を持つ対象が少し違っていました。
スポーツであれば、家族・同級生が大抵は野球の話で「巨人だ、西武だ、広島だ」といった会話で盛り上がる中、当時はあまり野球に関心を示さず、相撲中継に熱をあげ、やれ北の湖だ、千代の富士だ、高見山だと1人で盛り上がっている子供でしたし、音楽であれば、家族や同級生達がシブがき隊・少年隊・光GENJI・チェッカーズなどを聴きまくって会話が盛り上がる中、私はさだまさし・久保田利伸・徳永英明・オメガトライブといったところのアーティストを好んで聴いていたのです。

こんな感じの毎日を送っていたので、学校でも家でもどこか浮いていたような気はします。
好み自体は変わらなかったものの、いつしか周りの顔色を気にするようになり、自分が好きなものを周りに対して発信することはしなくなっていきました。
その反動か、1人で出かける時に好きな服を着る・1人の時間に好きなスポーツ観戦や音楽鑑賞を嗜むといった1人時間が自分自身の楽しみとなっていきました。
改めて振り返ると、幼少期は周囲からの声が聞こえる度に「自分は間違っているのかもしれない」「自分が好きだと思うものを表だって言うことは控えよう」と無意識のうちに思い悩み、こんなマインドが醸成されていったような気がしています。

そして自分の本音を心の奥底にしまい込んだまま成長して長い年月を過ごすとどうなるか。
私の実体験をもとに綴っていきます。

自己受容感・自己肯定感が低くなる

まず1つ目。「自己受容感」と「自己肯定感」が低くなってしまうということです。
そもそも自己受容感と自己肯定感とは何かということについて、関連用語と併せて以下にて説明してみたいと思います。

≪自己受容感≫
長所短所全てひっくるめた「ありのままの自分」を理解し認めたうえで、全てを受け入れること。
≪自己肯定感≫
ありのままの自分を肯定する感覚のこと。他人と比べず自分をかけがえのない存在として肯定する。
≪自己効力感≫
何かを為そうとする際に「自分は出来る」と信じて、必要な行動を起こせる力のこと。

幼少期から家族や周りの顔色を伺いながら生きてきた私は、自分の好きなものに関する「好き」という気持ちは変わらなかったものの、

モウカク
モウカク

・自分の好きなものは家族や周りには受け入れられないんじゃないか
・自分が好きなものをオープンにするのは違うのではないか
・・・

このような感覚から、自分自身を認めて受け入れることが出来ずにいました。
また学校生活などでの多数決があった際には、ほぼほぼ少数側・マイノリティだった経験(文化祭での出し物や生徒会長選挙とかで一番票が集まらないところに何故か入れてしまう)も手伝って、

モウカク
モウカク

・自分の意見はほぼほぼ採用されないんだ・・・
・自分は周りからは否定されているのかもしれない・・・

こんな思考も強化された結果、自己受容感と自己肯定感が低い人間が醸成されていったワケです。
そのくせ、周りと違う自分に悩む一方で、そんな自分自身には根拠のない自信を持っている。言い換えれば自己受容感と自己肯定感が低い一方、自己効力感は高めのアンバランスな謎キャラが出来上がっていきました。

要は一言で言うと「めんどくさいヤツ」だったということになります(苦笑)

ただ、このアンバランスさは成長するにつれて自分を苦しめることになります。
学校授業でのディスカッションや会社での会議などの場面を想像してみてください。

モウカク
モウカク

この意見、自分では自信あるから凄く主張したい!したい…けど、
でも受け入れられないだろうから、やめておこう・・・

という風に、アピールしたいと思う場面で出来ないことが数え切れず・・・
今振り返って考えると、「あの時アピールしていたら、違う世界線あったかな」と思うこともいくつかあります。
もしかしたら、大きな機会やチャンスを逃してきたのかもしれません。

自分の可能性を自らで狭めてしまっている可能性がある

2点目。自分の可能性を自らで狭めてしまうことに繋がる、ということです。

私達人間は誰でも自分の人生において数回は将来を見据えた重要な選択を行うタイミングがあります。
(中学卒業後の進路、高校卒業後の進路、就職活動、結婚などなど・・・)
この時に、

・自分のやりたい事は何だろう?
・自分は将来何になりたいんだろう?
・自分はどういう生き方がしたいんだろう?

上記の観点を踏まえて、自身の進路を決めることが大半であろうと思います。
一方で、私自身は進路を考えるタイミングで少なくとも3回、「家族が望む道を選ぶ」ことをしていました。
具体的には高校進学時・大学進学時・就職活動時です。
1回目の進路選択だった高校進学当時は、家族が病気を患い、介護に携わり始めていたタイミングだったので「家族の面倒を見れる距離感や生活スタイルが出来ないとダメだ」との思いから、その思いが叶う進路先を限られた中から選んで進みました。

しかし、改めて振り返ると・・・
将来を見据えた進路選択のタイミングに、私は本気で向き合ってなかったのではと思えるのです。
繰り返しになりますが、進路選択当時に私の頭の中にあった思考は以下のものでした。

モウカク
モウカク

家族が望んでいるであろう道を選ぶのが良いんだろうな…

判断基準が家族という「他人軸」になっていて、自分がどうしたいのかという視点で全く考えていなかったのです。
つまり、進路選択に本気で向き合わず、おざなりに考えてしまっていたということです。
もう少し掘り下げて書きましょう。以下の2つの例を考えてみてください。

A:「自分は▲▲がやりたいから○○という道に進みたい。でも家族の介護がある。だから今は家族の介護を優先した選択肢を選ぶ」
B:「自分は家族の介護があるし、家族も望んでるからその道に進もう」

上記、結論はA・Bともに「家族の介護をする進路」選択をしています。ただ、そこに到る過程が全く違うのです。
Aは自分のやりたいことを認知したうえで、自身の状況と照らし合わせて家族介護の進路を選択しているのに対し、Bは自分がやりたいことについてそもそも考えていないのです。

言い換えれば、自身の置かれた状況(上記例で言えば介護ですね)を「自分のやりたいこと」と思い込んでいることで、自分の本心・本音と向き合えていない状態です。結果、自分のやりたいことや可能性について真剣に向き合うべきタイミングをおざなりにしてしまっていることになります。
自身の置かれた状況が丁度良い隠れ蓑のような存在になっているとも言えます。

当時の私は、まさしくこのBの状態でした。

自分のやりたいことが分からなくなる

3点目。これは2点目に書いたことから連動しますが、自分のやりたいことが分からなくなります。
でも改めて考えてみると当たり前のことなのかなと思います。理由は明確です。

「自分のやりたいことについて、人生の中でまともに向き合ってきていない」から。

「自分自身がやりたいことが何なのか」、「自分自身はどう生きていきたいのか」、「自分がどうなりたいのか」、自分の将来を真剣に考えるべきタイミングでちゃんと向き合わなかったので、やりたいことが分からなくなるというのは、ある意味当然の帰結であると言えます。

そしてこれは私自身の経験則から書くことになりますが、
「自分のやりたいことに向き合わないまま大人になり、年月を重ねれば重ねるほど自分の本心を見つけ出すのに時間を要する」ようになります。
これは断言できます。私は実際に「自分のやりたいことを本気で考えたことがない」という事実に気付いてから、自分の本音・本心を探り当てるのに数年の月日を要しました。これは、「自身の置かれた状況=やるべきこと」という認知が年月を経る分だけ自身の中で正当化していくからです。

以上、「本音を隠して生きるとどういうことになるか」ということについて、経験してきた身として体験談をベースに綴ってきました。
とは言え、大人になってから、年齢を重ねてから「自分のやりたいことを本気で考えたことがない」という方も多いと思います。
ではそういう皆さんはどうすると良いのか。次項で私が取り入れた対策をご紹介したいと思います。

長年隠してきた自身の本心・本音に気付くには

幼少期より自分の本音を隠して生き、大人になるまでやりたいことを本気で考えたことが無かった私。
では今から自分のやりたいこと、本心・本音を引き出すにはどうすると良いのか。私が取り入れた対策法を以下にてご紹介します。

それは、何でも良いので「興味・関心のある事柄に触れてみる」ことです。
「なんだ、そんなことかよ」と言われそうですが、とても大事な観点なのです。
これは私の経験則になりますが、長い間、自身の本心・本音を隠して生きてくると、「心が動く・揺さぶられる」ことが徐々に鈍くなってきます。それが積み重なってくると、他の人より感動体験の頻度が加速度を増して減っていくことになります。

ではどうやって「心が動く・揺さぶられる」感じを取り戻すかというと、上で書いた通り何でも良いので興味・関心のあることに触れてみる、ということです。
そもそも興味・関心をもつということは、皆さん自身の中でどこか琴線に触れる部分があるからです。
ということは、そこを紐解いていくことが「自分のやりたいこと、本心・本音」を掘り起こす糸口であり、近道となるわけです。

私の場合は、妻が好きで見ていたオーディション番組を一緒に観ていた際に、

モウカク
モウカク

・参加者の熱量がすごいな…情熱を向けられるものがあるのは素晴らしいな。

・自分は何に情熱を傾けていたんだっけ??
・何か自分でモノを作って発信することは好きだったかもしれない・・・

という思考経過をたどることで自分のやりたい事についての糸口を見つけ出し、現在の活動に到っています。
きっかけは何でも良いと思います。表現は悪いですが、少しでも興味・関心のあることに触れて錆びついてしまった自分の本心・本音を揺り動かすことがまずは第一歩ではないでしょうか。

特にこれからの時期は、パリオリンピック・パラリンピックや甲子園など、がむしゃらに何かに向かって頑張っている熱量の高い人達の姿を多くみれるタイミングでもあります。
自分の本心・本音を隠して生き、やりたいことが分からなくなっているという皆さん。何でも良いのでぜひ皆さん自身が少しでも興味・関心のわく事柄に1つでも多く触れてみてください。
それが本心・本音、やりたい事に気付くことが出来る糸口・近道になると思いますよ。

それでは今回はこの辺で。長々お付き合いいただき有難うございました m(__)m

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